平成7年の今日、阪神淡路大震災がありました。
私自身はそこの住んでいなかったので、直接的な怖さは分からないのですが、以前震災の支援に関わったことで怖さの片鱗を知ることができました。
1999年に起こったトルコの震災と台湾の震災の支援にかかわりを持ちました。
実際台湾には訪れて、現地の支援団体にお世話になりました。
一緒に行った方の中に阪神淡路大震災の経験者の方がおられました。
現地の団体は震源地の都市部ではなく、少し離れた村に拠点を構え周囲の支援に当たっていました。
理由は都市部には支援が行きやすいが離れた村には支援が行くことは無いとの事でした。
そこでは冷凍用コンテナを事務局兼寝床として寝袋で生活していました。
冷凍用コンテナだと台湾の冬は乗り切れるとの事でしたが、結構寒かったです。
冷凍用のコンテナを改造して図書館にしたり、コの字型に並べ真ん中に広場を作ったりと色々工夫していました。
都市部では公園にはテントが並んでいましたが、露天などがあり、震災から1ヶ月後くらいで比較的整備はされておりました。
人はすでに震災を糧に生活していると思うくらい町はにぎわっていましたが、それは楽観視した私の甘い考えだったと痛感させられました。
裏通りの個人宅については崩れたままでした。若い男性が私だけだったので全壊、半壊のお宅から衣類を取り出し家族に手渡しをしていました。
受け取った家族はその洋服を握り締め、大声で泣きながらその場に崩れていました。
台湾では震災の復興にいち早く宗教団体が整備をはじめ、仮設住宅を設置しました。その仮設住宅を見たのですが、かなり立派で数も非常に多く設置されていました。
自分にとっては人は支えあって生きているということを考えさせられる出来事になりましたが、地域とのつながりが日ごろから重要になってくるとも思いました。
震災の裏では人為的な2次災害とも呼べる出来事が増える危険性もあると思います。防災グッズの準備だけでなく、日ごろからの近所づきあいも大切ですよね。
(蓮見 洋平)
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