塩釜市、多賀城市、七ヶ浜、名取市、仙台市
石巻市、女川町と見て回ってきました。
まず感じたことが、報道では分からなかった街の姿でした。
東北道のインターから仙台駅に向かうバスの中から見える風景の中に
全壊の家、半壊の家といったものが目に入ってくることはなく
それこそガラスが割れたとかそういったもので、これまで自分が見た
震災後の街とは少し違いました。
名取市の友人から地域によって全然違うし、同じ地域でもニーズが違うと
聞かされた意味が分かりました。
駅前はにぎわっており、テントと寝袋、食料をパンパンに詰めた
バックパックを背負っている自分たちの姿は異質でした。
報道で流れていた映像と結びつかない。 津波による被害というものを
知らないわけではないのですが、映像とのあまりの開きに驚きました。
目的地に向かう為、タクシーに乗り多賀城市付近を通り始めると
光景は一変しました。
どうも道路が埃っぽいなと思っていたら、車がひっくり返り
家屋の外に積み上げられた土嚢袋と湿った畳。
沿岸部から離れた地域だったのですが、目を疑うような光景でした。
仙台港の影響からタンクローリーなどが流れ着いていました。
地元の人から色々と伺いました。
津波は波そのものの力と、浮いてしまった車、家などが周りを壊しながら
押し寄せてくる。
それ以上の速さの引き波ですべてを海に引っ張っていく。
空のタンクローリーなどは浮き袋とかわらない。
頭で理解しようとしてもその光景に追いつけないのが正直な感想。
被害状況のすさまじいところの報道はかなり流されているものの
他の地域も同様に大変な状況でした。
数100メートル離れたところでは私たちの知る日常の生活風景があります。
しかしほんの数分もしないうちに様子が変わってきます。
だからといって見た目の被害が少ない地域に支援の必要が無い
わけではありません。
沿岸部に家族や友人がいたかもしれない。仕事場があったかもしれない。
数日間そこにいただけの自分でさえ、毎晩瓦礫の夢を見るようになりました。
瓦礫の横を子供たちが歩いています。この光景が日常になってしまった
子供たちの心も心配です。
こんな時よりいっそう後回しにされがちな障がい者支援。
震災から一ヶ月。非日常からだんだんと日常になるにしたがって
現れてくるであろうPTSDなどの精神的なケア。
今、我々に出来ることは限りなくあります。
今後の復興資金のために募金ももちろん必要です。
残念ながら壊滅的となってしまった沿岸部でも
今まだまだ、民間にしか出来ない必要な支援もあります。
災害ボランティアセンターなどでの県外ボランティアの仕事は
主に自宅の泥かきです。毎日ボランティアセンターにたくさんの
要望が入ります。
今は県内の人達が頑張っています。
出来れば県内の人達がこれからを考えていける状況を
我々県外の人間が動いて作るべきだとも思いました。
また、これからボランティアに行かれる方は
是非考えておいて欲しいことがあります。
泥かきで自宅を訪問する際に、
我々にとっては瓦礫、泥にまみれた服と思ってしまう
かもしれません。
でも、その木も服もすべて大切なその家の人の持ち物です。
私も単身生活のおばあちゃんの家を手伝いました。
自分の家だったらと必ず考えてください。
どろにまみれてしまった服が孫からプレゼントされたものだったら?
時間をかけてやっと建てた家だったら?
一緒に捨てるもの、捨てないものを選別しました。
泥にまみれても、とっておくものはちゃんととっておくんです。
一通りすべてを外に出し終わった後、おばあちゃんに呼ばれて
「やっぱり、あれ戻しといてくれない?」
心が苦しくなります。
県外にいる人はインフラ整備のため、いったんは県外退避して
そのあと地元にもどったほうが良いと、効率を考えます。
私もそう思ったこともありました。
でも泥だらけになっても住みたいんです。
産業が復興できるか分からないけど住みたいんです。
そんな人がいる限り、支援の手は切ってはいけない。
そこに残る人がいるのであれば、それに付き合おうと思いました。
なかなか、文章がまとまらないのが今の心境です。
ただやることは一杯あります。
何かしたいけどどうしたらいいか分からないという方がいらっしゃったら
是非ご連絡下さい。
もし僕に出来なくても一緒に考えれば何かできるかも知れないですからね。
(蓮見 洋平)
名取市沿岸部の写真を上げさせていただきます。
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