2013年

7月

18日

戦争をやめて進化した国

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2013年

1月

29日

「World cafe@高校生」ラジオ出演

高校生達と一緒に行っている取り組みをFM横浜の番組で取り上げて下さいました。
当日、高校生は緊張しながらも楽しんでしゃべっていました。


2月9日のワールドカフェに是非お越し下さい 

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2012年

8月

29日

やっと出来上がりました

一年以上かかりましたが、ようやく女川カレーの製造が女川町で行われる様になりました。

 

記念すべき一個目は社長が自ら完成させ、皆でガッツポーズ。

これからまだまだ軌道に乗るまでが大変ですが、応援宜しくお願いします!

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2012年

8月

14日

過去の写真をupします。内装工事(壁塗り)

希望の鐘商店街内の女川カレー作業場の壁塗り風景の写真をupします。

 

 

鎌倉すざくご協力で墨塗料を塗りました。
当日はすざくの職人さんに教わりながら、自分達で塗れる場所は自分達で行いました。

 

なかなか渋いです。

 

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2012年

7月

18日

明日から女川にいってきます

明日からちきゅうの子22スタッフ全員で女川に行きます。

報告は又後日行います。

 

 

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2012年

7月

06日

福祉の垣根

私は障がい者福祉に関わる仕事をしておりました。
しかし仕事を始める前からそういった方面と妙に縁があり、仕事以外の所で自分の

福祉感と言ったものが出来上がったと思っています。

 

それまで障がいを持った方(今では大切な友人)と海外を回り、偏見の眼差しを強く感じる国、また垣根無く接してくる国、様々見てきました。

そのような観点で日本を見た時

日本はどんな国なんでしょう?

 

僕個人としては前者、後者どちらも感じる事はあるのですが、隠れた前者に寄っているかなと考えています。
もちろん地域差はあると思うのですが。 

そういえば以前似た様な事を書きました。

http://chikyu22.jimdo.com/2011/01/28/

地域、やり方によってはそんな垣根は簡単に超えられると思っています。

 

 

先日、一緒に海外を回ったその友人と13年ぶりに旅に出ました。

 

空港、機内、現地移動、宿泊場所。
やはりどれも友人が一人で回るのには厳しい状況でした。

まず車いすの選択から始めます。

電動車椅子で行ければ、自分の意思で楽しめる。

手動だとどうしても介助者に気を使ってしまう事もあります。

 

現地での移動手段、金銭面、介助者の負担等、色々なメリット、デメリットを並べ、今回は残念ながら手動で行く事になりました。

 

 

行く場所、内容によって本当に選択が難しいのです。

以前は国によって道路状況、段差が全然違いますから。電動、手動の2つを用意していたので対応が楽でした。

 

今回は介助者が私のみ。

最初から一台を選ぶしかない状況でした。

 

 

「旅行」ではなくあくまでも「旅」

これから毎年続けて最後は中南米に行こうとお互い話し、いつか障がい者でも簡単に旅が出来るようになれば、色んな垣根を超える事は出来ると思っています。

<蓮見 洋平>

 

 

 

 

 

 

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2012年

7月

06日

商店街内装作業風景

4月時に行った希望の鐘商店街の店舗内装作業風景を上げておきます。

 

しばらく泊まり込みで朝から晩まで作業しておりました。

朝から晩まで大変でしたが、以前に塗った黒い壁と木の壁が以外と渋い仕上がりです。

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2012年

3月

22日

コンテナ村のでデッキもあとわずか

12月から取り組み始めたこのプラン。

残りわずかで完成となります。

 

 

マンパワーって凄いですよね

ピースボートさんにお願いしてよかった。

 

 

 

凄いですよ。

 

 

 

夏にコンテナ村にいらっしゃった方!!

是非デッキを見にもう一度いらして下さい!!

 

 

 

もう一度言います。

 

凄いですよ。ほんとに。

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2012年

3月

22日

商店街完成まであとわずか

昨年5月から取り組んでいた女川高校校庭の仮設商店街もあとわずかでとりあえず完成となりました。

 

3月中の引き渡しで、4月末にオープニングセレモニーを行う予定です。

 

 

よもやあの時持ちかけた話が、こんな大事になるとは思っても見ませんでした。

女川町の皆様はさすがですね。

当初の規模より3倍位にふくれあがってますから。

 

我々は主に金銭面でのサポートで動いておりましたが、現場で土地、各商店との打ち合わせなど調整して来られた方の大変さは計り知れません。

本当にお疲れ様です。

 

 

また完成後の運営も含め色々大変な所は有ると思いますが、大きな希望ですから町全体で盛り上がるといいですね。

 

 

女川町では誰よりも早く動いた方達によるコンテナ村商店街もあります。

今度出来る仮設商店街だけでなく、コンテナ村にも必ず足をお運び下さい。

とっても温かい雰囲気で出迎えてくれますよ。

 

そちらの報告は別で載せます。

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2012年

3月

12日

遠方からの祈り

3月10日、11日と鎌倉で鎮魂の場に参加させていただきました。

 

女川で向かえようと思っていたのですが、やはり11日は地元の方の日にちとして伺う事を取りやめました。そのかわり18日に女川で行われる復興祭は参加する予定です。

 

 

鎌倉では10日に長谷寺で4つの宗派が垣根を越えて夕方から

11日は鎌倉プリンスホテルにて海に向かって追悼の祈りを捧げました。

 

 

一年についてはまた別に書きます。

取り急ぎ。

 

 

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2012年

3月

01日

3月11日 FM横浜 ラジオゲスト出演 

FM横浜 毎週日曜日12:30〜放送「この街のたからもの~Treasure of This Town~」にゲスト出演します。

 

女川町での活動の事を少し話をさせていただきます

 

 

 3月11日(日)12:30〜

「この街のたからもの~Treasure of This Town~」

http://blog.fmyokohama.jp/takara/

 

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2011年

10月

06日

鎌倉由比ガ浜商店街報告

9月18日に鎌倉由比ガ浜商店街にて

 

東日本大震災復興支援イベント

「つなげ!とどけ!鎌倉由比ガ浜より熱きメッセージ」が開催されました。

 

鎌倉市役所の災害対策本部内で行われた報告会でお会いした

由比ケ浜商店街の皆様にお声をかけていただいて、参加させていただきました。

 

東北の物産品の販売と屋台、そして東北で活動している鎌倉の団体による

パネルディスカッション。

 

僭越ながらパネルディスカッションに参加させていただきました。

参加団体は鎌倉とどけ隊 森下真司さん、鎌倉建築組合 高野孔二さん

     柞の森音楽祭実行委員  斉藤美代子さん、と私。

 

神奈川県商工労働局産業部 商業まちづくりグループの鈴木 博明さんに

コーディネーターをやっていただきました。

 

それぞれの立場からの震災の視点があり、こちらも非常に勉強になりました。

 

 

活動のベースは違っても、高い意識をもって地域に返すと言った点では共通しているようでした。

 

 

かねてから、被災地域から学び

災害に強い町鎌倉として全国に発信できる町になれば良いと思っていました。

こういった事をきっかけに関心が高まる事を切に願います。

 

 

会場に女川出身の方がお見えになられ、始まる前にご挨拶をさせていただきました

震災後の女川しか知らない私がその方を前にして、話をするのが申し訳なく思っていたのですが、終わった後その方と涙を流しながらこみ上げる気持ちを抑え

今後もご協力させていただく旨を伝えさせていただきました。

 

最近、周囲で女川の方に会うとなんだかホッとします。

 

また今回はじめに挨拶をしてくださった由比ケ浜商店街の大木さんも

自ら石巻で活動を行われていました。

どうやら同じ日に石巻専修大学で寝泊まりしていたようで、不思議な縁を

感じました。

 

由比ケ浜商店街の皆様本当にありがとうございました。

 

(蓮見 洋平)

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2011年

9月

13日

半年経って

10日(土)に女川町商工会から青山さんと阿部さんにお越し頂いて

話をしていただきました。

 

 

 

3月11日に沿岸部で津波にあった青山さん。

 

沿岸部の商工会議所は指定避難所になっており、青山さん達は立場上、

建物から出るわけにはいかなかった。

津波はとてつもない早さで4階まで埋め尽くし、慌てて屋上へ。

すぐに屋上も海水に覆われ、給水タンクに取り残された4人。

 

鉄柱にしがみつきながら振り返ると、津波に飲み込まれた町が。

どんどんあがってきた海水は足下に

鉄柱にしがみついた4人は死を覚悟して

青山さんは自分のネクタイを鉄柱にくくり付け、残った4人で

来世で会いましょうと会話をしたとの事。

 

 

 

しかし奇跡的に海水が足下で止まる。

 

 

そして今度は引き波がはじまり、家屋が海に引き戻されていく。

ぶつかった家屋は爆発するかのように高いしぶきを上げて木片を散らばらせる。

引き波がどれだけ恐ろしいか実際、間近で見たものしか分からない話だ。

 

引き波で流される人々を目にしながら、奇跡的に生き残った青山さん

 

 

 

同じ沿岸部にあるわが町

「鎌倉はそんな大きな波は来ないよ」と言う声を聞く事もある。

 

しかし青山さんは

「極端な話、震度3でも逃げるくらいのつもりでいた方がいい。」

 

「逃げても、生きろ」

「過信はしてはいけない」

 

出てくる言葉は、自身が身を以て体験して出てきた、とても重い言葉だ。

 

 

自分の町ではどうするか、本当に考えなければならない。

当日市長が来てくださった。

 

他の職員は来られなかったが、それでも市長が来てくださっている事は

それだけ関心をもって下さっているとわかるだけで、我々も心強い。

 

 

地域力、セーフティーネットなどの見直し

なんとか民間と行政とで連携のとれる体制を作っていく事はできないか感じる。

 

 

 

 

青山さん達は休みも無く、毎日夜中まで働いている。

どうか体調だけは崩されないよう、切に願う。

 

 

震災から半年。

 

 

(蓮見 洋平)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年

9月

07日

桃井和馬さんテレビ放送

以前、後援会を行ってくださった、フォトジャーナリストの桃井和馬さんが

NHKの旅のチカラ『アンデス 星と雪の巡礼〜写真家 桃井和馬」が放映されました。

南米ペルーアンデスの整地を亡くなられた奥様を胸に抱き、標高5000mの

「星と雪の聖地」と呼ばれる場所を目指します。

 

見逃された方は

 

●再放送 9月8日(木)朝8:30~9:27 BSプレミアム 9月10日(土)朝7:45~8:42 BSプレミアム

●国際放送(日本時間) 10月2日(日) 26:00~

 

 

上記日程でも放送いたします。

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2011年

4月

25日

3月11日 と 3.11

3月11日以降、日本全土が復興というものに向けて動いている

自分もその一人だ。

僕自身現場に何度か出入りして支援をしている。

これからも現地をみて行動したいと思っている

 

でも、某CMなどを見ていると、少し不安になってしまう。

テレビからはよく聞こえてくるのは強い日本、がんばろう日本、立ち上がれ日本

 

「一丸となる」それ自体は目標をなす上では必要なことだと思う。

ただ闇雲な気持ちの共有は思わぬ方向に自体が進むこともある。

あの9.11後の日本のように。

 

当時有事にむけて国は浮き足立ち、本質を見失った。

人気先行の政治家は常軌を逸した支持率という名の下に

弱者を叩くことに加担し続けた。強者に正義はないと知りながらも

きらびやかな経済に目を奪われた強者は昔ながらのつながりを分断し

市町村を合併させることで地方の基盤を脆弱化させた。

 

あの時と今はもちろん違う。

しかし、浮き足立った状況とどこか全体主義な感覚は似ていると思う。

何を目指すべき復興とし、何を見失ってはいけないか

行って感じたが、一番しっかりと腰をすえているのは被災地の方々かもしれない。

 

テレビはあおり映像とも取れるほど被害の大きかった地域の映像を流し続ける。

地震の後買いだめに走り、物がなくなり、ガソリンがなくなり、水がなくなる。

大人の不安が、簡単に子供に伝染する。

被災地では、子供の不安を防ぐ為にそれこそ大人が「一丸となって」いるのに。

 

 

とにもかくにも報道は報道の仕事をせずに、現政府を叩くのに必死。

原発を推進し続けていたかつての政党や原子炉メーカーには何も言わずに

あまりにも勉強不足な人物が原発について無責任な発言を繰り返している。

 

 

これだけ地震と津波により原発の被害を受けているにもかかわらず、

なお原発を推進する人はなんなんだろう。

人の痛みが分からないのか、痛みを承知のうえで今の基準を保ちたいのか。

 

 

いや、そんな事ではない。当然そこにはおいしい話があるからだ。

日本の原発技術輸出ビジネスは1基あたり4000億円と超ビックビジネス。

原子炉メーカー名は出さないが各メーカーでの受注目標は2015年までに39基、

2025年までに30基と精力的に受注を狙っている。

 

昨年10月に電力会社、原子炉メーカー、関連機器メーカーによる原発セールスの

官民合同出資会社が設立されベトナムの受注にも成功している。

 

 

しかし今、小さなエネルギーで大きな電力と金を産むこの欲望と犠牲の上に成り立つ、

人智を超えた「素晴らしきエネルギー事業」は、地球に牙を向いた。

 

これを予想し続けた人達はずっと昔から声をあげていた。

残念ながら耳を傾ける人は少なく、時には煙たがられる狼少年のような

ぞんざいな扱いをうけた。

 

経団連の米倉会長は

「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしい、原子力事業は胸を張るべき」

と発言した。もはや救いがたい。これを是非福島県民の前で言って欲しい。

2005年に三陸をおそったマグニチュード7.2の地震でも女川原発の原子炉は

3基緊急停止。

想定基準を超える地震と報道された。

 

3月11日の地震では8.4のマグニチュードは突如今までの測定方法を変更し

9.0と発表。

もはや気象庁の行動すら想定外だ。

 

 

脱原発はデータから言っても無理ではない。

特に断層の上に建つ浜岡原発に関しては中部電力の15%の使用量。

十分無くてもやっていける。いや、そういう道に進まなければいけない。

 

ついでに言うと家庭の電気使用量は30%ではない

30%というのは民生という分類でその中に家庭と

事業(デパート、オフィス、病院)区分けがある。

なので、実際は10%後半といったところ。

電力を余らせない為、供給先を見つける、負荷平準化と言った言葉も存在する。

 

世界では自然エネルギーでやっていこうとしている国があるのか

それはノルウェーやコスタリカである。

コスタリカでは水力と地熱で国の電気がまかなわれている。

実は、そのコスタリカに地熱発電の技術を伝えたのが日本。

そんな技術を持ちながら日本の地熱発電は総電力の0.2%

 

 

 

これから時機を見て「より安全な原発」といった発言も出てくるだろう。

おそらく国づくりの頭数に我々は入っていない。

民意と国は別のところで動いているからだ。

中身の見えない世論調査などで

「次のエネルギーが見つかるまでは必要だと思う○○%」

報道による捻じ曲がったデータを信じてしまう我々。

「民意おそるるに足らず」

これが今までの国のあり方。

 

こういった事を止めるには勉強しかない。

それはデータを集めるとかってことだけではなくて

どうすれば民意が政治に伝わるか、それにはどこに、どのように伝えるか

そういった方法論が必要になってくる。

 

 

3月11日の出来事を3.11と呼ぶ気になれない。

それはきっと自分にも少なからず痛みをともなっているからだと思う。

東北にいってからあの光景が夢に出続ける事を僕は医者に相談した。

避難された方のそういった相談が非常に増えているらしい。

大人でこれだから、子供の心の奥底にこんな思いを潜ませてはいけない。

安心して感情が吐き出せる場所を作ることも大切な支援。

 

そういえば9.11も最初はそう呼びたくなかったことを今、思い出した。

あの出来事にも痛みを持っていた事があった自分に少しホッとした。 

(蓮見 洋平)

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2011年

4月

16日

東北報告 石巻市

時間が空いてしまいましたが報告の続きをします。

 

 

私たちはその後七ヶ浜などの沿岸部を見ながら石巻市に向かいました。

やはり石巻市でも家屋の前に積みあがる家具や畳等、路上にひっくり返った車

といった見慣れてしまった光景が続いていました。

ここも同様に深刻な被害状況だと思い沿岸部付近に近づいたら

自分の目を疑いました。

 

 

どこまでも続いている何メートルも積み上げられた廃材

焼け焦げた車、冠水した道路、家が家を押し流してがけ際に溜まっている。

自分がいったい何を見ているのか、ここがどこなのか分からなくなる。

現実として受けとめることの難しい光景でした。

 

 

つい10分ほど前に車で走っていたていた場所では郊外地でよく見るような

大型スーパーが開いており、震災の影響があったように思えない

ごく普通の状況でしたが、郊外から街の中心部、沿岸部に行くにつれて

状況が段々変わってくるのです。

 

高台である日和山公園から見る壊滅的になってしまった石巻の沿岸部は

頭から離れる事がありません。

 

高台であるその場所から

黙って街を見下ろし続ける家族

インパクトの強い画を撮ろうとする報道関係者

自分たちのように県外から来て被災現場をみる者

様々な人が訪れていました。

 

 

そんな石巻市には大きな災害ボランティアセンターが専修大学の

中に存在します。

そこは他の地域よりセンターの規模が大きく、社会福祉協議会、NGOなどが

連携をとり、多くの力が全国から集まってきます。

私たちもそこにテントを張り寝泊りしました。

 

かつて行動を共にした友人なども来ており、お互いに情報交換をして

現地団体からも現状を教えてもらいました。

 

石巻ではボランティア導入の数も非常に多く、受け入れ態勢も

しっかりしているところです。社会福祉協議会のボランティア保険に

加入していれば、いつでも参加できます。

保険は掛け捨てで一番高いプランでも720円です(天災Bプラン)

寝床の無い人用のエアドームというテントを用意していたのですが、

風が強いためかなかなか実現できていないので、行かれる方は現地に確認するか、ご自分でテント等ご用意下さい。

 

前回の報告で触れた自宅の泥かきは石巻で行いました。

ボランティアに行かれる方は是非、読んでみてください。

 

 

石巻沿岸部の様子です。

 

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2011年

4月

14日

4月14日(木)炊き出し@宮城県女川町/東北電力宮ケ崎アパート 一号棟集会場前

 

 

4/14追記 場所が決まりました。
 東北電力宮ケ崎アパート、一号棟集会場前です。
 12時から行ないます。 お待ちしております。

4/14追記2
夕食時は、女川第三小学校へ行きます。

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2011年

4月

13日

炊き出し:できることを出来る範囲でやります

 

 

被災地の方たちに喜んでもらえることはなんだろう?

ちきゅうの子22では、被災地域で炊き出しをはじめます。

被災地ごとに被害の状況が違い、
また支援物資の量・内容やボランティアの人数も避難所ごとに違っています。
メディアによる報道量と支援の必要度合いには相関関係がなく、
注目されにくい地域が存在しています。
必要なもののニーズも各地でバラバラです。


当初は、後方支援のみを行う予定でしたが、
実際に現地に行き、人手不足を目にし、
まだ現地で力になれることはたくさんある、と感じました。

大量の支援物資が全国から届いていても、現場では手が足りず、
通常の物流のように円滑にさばくことはできません。

私たちは自分たちで見た限りに於いて、
必要と思われるものを考え、
その中で自分たちでできそうなことを実行し、
被災地の方々を応援していきます。

 


被災地の方たちに喜んでもらえることはなんだろう?
私たちが石巻・女川地区でお話を聞き、感じたことからの判断です。

 


ガスが使えない環境で、冷たいものばかり。単調なメニューの食事が続いている。

あたたかいもの。そして栄養を満たすための食糧ではなく、
味わう楽しみがある美味しい料理をお届けします。


当初1,000食単位の炊き出しを計画していた。

現在は、「1000食よりも300食×3のような、各地域避難所の収容規模に合わせた量の方がありがたい」とのこと。
なるべく支援の手が薄くなりがちな、各地域の避難所、災害地区で炊き出しを行ないます。


週末は全国から炊き出しの方が来てくれる。

私たちはできるかぎり平日に行きます。



主に、津波の被害が大きく、県外ボランティアの少ない、
女川町を中心に支援を検討しています。

そして、栄養を満たすための「食糧」ではなく、
おいしい「料理」をお届けします。


日に日にニーズも量も変わっていきます。
現地訪問を重ねる中で情報収集し、

時期に合わせより的確な支援へと調整していきます。

 

 

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2011年

4月

13日

一緒に炊き出しをしていただける方募集中!

 

 

被災地の方たちに少しでも喜んでもらえることはないだろうか?

現地の皆さまには、継続的な支援が必要です。

 

ちきゅうの子22では、炊き出し活動を行ないますが、

一緒に応援していただける方を随時募集しています。

 

・鎌倉での応援(調理仕込み/準備など)
・現地での応援(炊き出し/呼びかけ/整理など)
・移動の応援(車の運転交代/車をお貸しいただける方など)
・特技での応援(マッサージ/美容・理容など現地でやっていただける方)
・物資での応援(食材/食器類などのご提供)

 

どなたさまも、出来る範囲で結構です。

 

炊き出ししていただける飲食関係の方いらっしゃいませんでしょうか?

またプロジェクト支援金も受け付けております。
(ガソリン代、高速代、食材・資材の購入費用など経費に用います)

 

 

こちらからご連絡ください。

http://ow.ly/4z0hz 

 

_____________________________
炊き出し日の基本スケジュール

◯前日
   午後 仕込み
   深夜 出発

◎当日
   早朝 女川到着
   午前 準備
   正午 炊き出し
   午後 片付け
   夕方 女川出発

◯翌日
   早朝 都内及び鎌倉で解散

 

(一緒に来ていただける場合、交通費を一部ご負担いただきます)

______________________________


現地に一緒に来ていただける場合は、
基本的に0泊3日(車中泊、またはテント泊)の強行スケジュールになります。
体調のすぐれない方にはおすすめできないので、
移動を伴わない形でご参加ください。

 

 

がんばろう 東北!

 

 

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2011年

4月

08日

東北報告1とこれから

塩釜市、多賀城市、七ヶ浜、名取市、仙台市

石巻市、女川町と見て回ってきました。

 

まず感じたことが、報道では分からなかった街の姿でした。

東北道のインターから仙台駅に向かうバスの中から見える風景の中に

全壊の家、半壊の家といったものが目に入ってくることはなく

それこそガラスが割れたとかそういったもので、これまで自分が見た

震災後の街とは少し違いました。

 

名取市の友人から地域によって全然違うし、同じ地域でもニーズが違うと

聞かされた意味が分かりました。 

 

駅前はにぎわっており、テントと寝袋、食料をパンパンに詰めた

バックパックを背負っている自分たちの姿は異質でした。

報道で流れていた映像と結びつかない。 津波による被害というものを

知らないわけではないのですが、映像とのあまりの開きに驚きました。

 

 

目的地に向かう為、タクシーに乗り多賀城市付近を通り始めると

光景は一変しました。

どうも道路が埃っぽいなと思っていたら、車がひっくり返り

家屋の外に積み上げられた土嚢袋と湿った畳。

沿岸部から離れた地域だったのですが、目を疑うような光景でした。

 

仙台港の影響からタンクローリーなどが流れ着いていました。

地元の人から色々と伺いました。

津波は波そのものの力と、浮いてしまった車、家などが周りを壊しながら

押し寄せてくる。

それ以上の速さの引き波ですべてを海に引っ張っていく。

空のタンクローリーなどは浮き袋とかわらない。

頭で理解しようとしてもその光景に追いつけないのが正直な感想。

 

被害状況のすさまじいところの報道はかなり流されているものの

他の地域も同様に大変な状況でした。

 

数100メートル離れたところでは私たちの知る日常の生活風景があります。

しかしほんの数分もしないうちに様子が変わってきます。

 

だからといって見た目の被害が少ない地域に支援の必要が無い

わけではありません。

 

沿岸部に家族や友人がいたかもしれない。仕事場があったかもしれない。

数日間そこにいただけの自分でさえ、毎晩瓦礫の夢を見るようになりました。

瓦礫の横を子供たちが歩いています。この光景が日常になってしまった

子供たちの心も心配です。

こんな時よりいっそう後回しにされがちな障がい者支援。

震災から一ヶ月。非日常からだんだんと日常になるにしたがって

現れてくるであろうPTSDなどの精神的なケア。

 

 

 

今、我々に出来ることは限りなくあります。

今後の復興資金のために募金ももちろん必要です。

残念ながら壊滅的となってしまった沿岸部でも

今まだまだ、民間にしか出来ない必要な支援もあります。

 

災害ボランティアセンターなどでの県外ボランティアの仕事は

主に自宅の泥かきです。毎日ボランティアセンターにたくさんの

要望が入ります。

今は県内の人達が頑張っています。

出来れば県内の人達がこれからを考えていける状況を

我々県外の人間が動いて作るべきだとも思いました。

 

また、これからボランティアに行かれる方は

是非考えておいて欲しいことがあります。

 

泥かきで自宅を訪問する際に、

我々にとっては瓦礫、泥にまみれた服と思ってしまう

かもしれません。

でも、その木も服もすべて大切なその家の人の持ち物です。

 

私も単身生活のおばあちゃんの家を手伝いました。

自分の家だったらと必ず考えてください。

どろにまみれてしまった服が孫からプレゼントされたものだったら?

時間をかけてやっと建てた家だったら?

 

一緒に捨てるもの、捨てないものを選別しました。

泥にまみれても、とっておくものはちゃんととっておくんです。

一通りすべてを外に出し終わった後、おばあちゃんに呼ばれて

「やっぱり、あれ戻しといてくれない?」

心が苦しくなります。

 

県外にいる人はインフラ整備のため、いったんは県外退避して

そのあと地元にもどったほうが良いと、効率を考えます。

私もそう思ったこともありました。

 

でも泥だらけになっても住みたいんです。

産業が復興できるか分からないけど住みたいんです。

 

そんな人がいる限り、支援の手は切ってはいけない。

そこに残る人がいるのであれば、それに付き合おうと思いました。

 

 

なかなか、文章がまとまらないのが今の心境です。

ただやることは一杯あります。

何かしたいけどどうしたらいいか分からないという方がいらっしゃったら

是非ご連絡下さい。

もし僕に出来なくても一緒に考えれば何かできるかも知れないですからね。

 

(蓮見 洋平)

 

 

名取市沿岸部の写真を上げさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

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2011年

4月

08日

東北地方の報告について

この文章を書くにあたって、現地を回って

改めて東日本関東大震災で被災された皆様に

お悔やみ、お見舞い申し上げます。

 

今回訪れた地域の被災状況を写真入りで載せるべきなのか考えてきました。

現地で写真を撮ることについて、文章を書くことについて

報道でもない外部の人間がして良いのか、でも報道は何も伝えてない。

そんな事がぐるぐる頭の中をめぐっていました。

しかし地元の方に「ちゃんと伝えてください」と言われた事できっちりと

伝えようと思いました。 

 

少しずつアップしていきます。

 

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「大いなる独り言」

 

被害の酷い状況だけ報道し美談を流す報道。

そんな酷い状況ならボランティアには何も出来ない。

という論調も生まれてきました。

もちろんタイミングはありますが・・・これによって多くのマンパワーが

間接的支援に回ったのだと思います。もちろん悪いことではないです。

 

しかし現地は被害状況が様々で既に人の手を必要としているところもあります。

現地の人が自分たちの生活、会社をそっちのけでボランティアしているのに。

僕たちは自分達の生活をキープしてる。

 

もう既に県外のマンパワーを必要としています。

 

被害に格差があればニーズが様々なのは当たり前。

物資を全国が送れば、物資を配布する人数が手一杯になるのは当たり前。

現地にニーズは山ほどあるのに・・・。

 

こういった支援はタイミングが本当に重要だといつも思います。

そのタイミングを上手く伝えるのが報道であったり

他県の自治体だったりするのではないでしょうか?

 

だから僕たちは現地に行く必要があると思い直接見てきました。

皆さんのエネルギーを活かすための情報収集、行動が円滑にすすめば

いいと思っています。

一人では不安という方は僕たちと行けばいい。

そうやって力が伝染すればいい。

 

(蓮見 洋平)

 

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2011年

4月

05日

現地より:塩釜市、多賀城市の様子

 

4月4日から被災地へ入りました。

 

今回の目的は、

・少量の物資をお届けすること(高速バス移動につき微々たるものですが)

・計画している支援実施に向けた現況把握です。

 

複数箇所で現地の支援ボランティアに参加しながら、

「被災地の方々が必要とされているもの・こと」を

お聞かせいただこうと思います。

 

4月4日

仙台から塩竈へ。

ボランティアセンターにて事務局長さんに話を聞きました。

ボランティアは色んな人の力でもう終わりに向かっていると聞く。

センターは活気に溢れ、世代を飛び越えた方々が活動していました。

復旧は比較的早く進んでおり、塩釜市での今後のボランティアの

緊急的ニーズは減ってくる模様。

しかしそれでも少し歩くと色んな光景が。

沿岸部は未だ酷い。

この震災の規模は計り知れないと思いました。

 

またその手前の多賀城市も津波の爪あと激しく、

あちこちの道路脇に車がひっくり返っています。

 

沿岸部は建物がなくなっているため、

かなり寒さを感じます。

 

 

詳細はまた後日報告いたします。

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2011年

4月

01日

まわってきます

 

ちきゅうの子22では来週から被災地に行ってきます。

 

 

今、地域では手があまってるのに何も出来ない。

そんな状況ですが、被災地ではやはり圧倒的に手が足りていない。

何が出来るのか、どんな連携が取れるのか、報道やネットだけではなかなか

分からない部分も含め見てきます。

 

現状の支援が行き届き、2の手3の手の支援が出来る体制を整えないと

いけないですからね。

 

向こうから更新します。

 

 

 

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2011年

3月

29日

出来ることは何

多くの人が被災地で我々には考えの及ばないような

大変な思いをしているのでしょう。

 

被災地にいない我々の多くは自分たちに何が出来るかで

頭をなやませているでしょう。

 

 

 

被災地にいない自分たちが今、出来ることは何なのか?

 

 

被災地に行って支援をすること

自分の持ち場を全うすること

募金すること

 

色々あると思います。

 

その中でやはり考えておいたほうが良いのが、目指すべき復興が何なのかだと思います。

 

 

「人が笑って暮らせるような日本」とかそう言ったことではなく。

それはもちろん必須事項ですが・・・・。

 

 

良くも悪くも今は、殆どの行動に復興という2文字がついて来る状況です。

我々は今「早く復興したい。」その思いは殆どの人が持っていると思います。

したがって復興につながるものは何でも受け入れやすい状態かもしれません。

 

 

だからこそ目指すべき復興とは何か、何をもって復興ととらえるか

天災と人災を切り離して冷静に考える等、しっかり見るべきではないでしょうか?

 

 

 

今、被災地に「何が出来るか分からないけどを何かをしたい」という思いを

強く持っている人は大勢います。 

 

何も出来ない自分はネットにある様な不要なボランティア論などに

当てはまるのではないか等と思わないで欲しいです。

 

立派なマンパワーですから。是非その気持ちを持って地元地域の

ボランティアセンター等に行ってみてください。

その気持ちは受け止めるべき立場の方々は受け止めますから。

 

 

しかし現状、受け止めるべきところに情報が不足していることも事実です。

行ってみたものの何もやることが無いかも知れません。

 

 

仙台の福祉施設の連絡会でまとめた書類を拝見させてもらいました。

福祉の現場では予想どおり手が足りない状況が続いています。

 

たとえば通所型の福祉施設はまず通うことがケアの一つですから、開所します。

現場では利用者の方々にも震災の影響で調子を崩す人が増えており

通常より忙しい状態。しかし施設自体の復旧に現場職員の手がとられます。

そして職員自体も被災者と一人で何役もこなす状況です。

職員が倒れたらアウトです。長期戦になればなるほど状況は悪化します。

 

 

ライフライン以外の様々な分野で我々の出来ることはあります。

福祉はもともと自分の分野。でも皆さんもおそらく得意分野があるでしょう。

現地のニーズをみてそれを活かせば十分な支援が出来ます。

 

 

なるべく生きた情報、市民だからこそ出来る支援、ニーズなどを

発信できるように被災地に行く予定です。

 

                          (蓮見 洋平)

 

 

 

 

 

 

 

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2011年

3月

27日

こんな時だからこそ

3月11日の東北関東大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

 

 

あの日から2週間が過ぎました。

いつもならこの時期は「光陰矢のごとし」と新たな年度を迎える

準備をしている時だと思います。

 

しかし多くの人は僕と同じように思考の停止と再生を繰り返し

今までに無く重く長い2週間だったと思います。

 

 

情報に疲れ、状況に疲れ、先を考えると不安かもしれません。

目に見えない小さなストレスが少しずつ自分の心を覆っているかもしれません。

 

でもそれは当然のことだと思います。

誰も経験のしたことのない状況が今ですから。

 

 

なんとなくこんな状況だからストレス発散しにくい・・・とか

考えずにストレスは出来るだけ発散して、脳と心にいい状況で

物事を考えましょう。

 

 

これからやるべき事は山積みなのですから。

 

 

 

 

 

さてこんな時に、いやこんな時だからこそ一度は聞いて欲しい。

 

ソウルフラワーユニオンというバンドの満月の夕べという曲があります。

 

彼らは「現場」主義で

神戸でも、フジロックでも、ドヤ街でも、東ティモールでも

とにかくいろんな「現場」で歌っています。

 

満月の夕べは神戸の震災で作られた歌で、本人たちが現地に入って歌い続け

今も長田の人達に愛されている曲でもあります。

 

 

僕の文章では曲の良さを紹介出来無そうなので

とりあえず聞いてみてください。(歌から聴きたい人は3:40位からです)

 

 

先ほど、僕と同じくこの曲を大切に想っている仙台の友人から

2週間ぶりにお風呂に入ることが出来たと連絡が来ました。

 

                            (蓮見 洋平)

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2011年

3月

12日

大地震発生について

3月11日に大震災が発生しました。

被災者皆さまの被害、ご苦労、そして悲しみは

我々の想像をはるかに絶しております。

 

私たちができる最善の事はなんでしょうか。

現地に駆けつけたい思いを抑えつつ、

遠くからでも力になれることを考えていきたいと思います。

 

今はただ一つ、

絶望せずに生き続けてください。

日本中が皆さんを応援しています。

 

具体的なアクションをお待ち下さい。

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2011年

2月

27日

あくなき欲望の招くものと人の罪

 

 

           我々の欲望はどこまで続くのか

      我々は自然を壊し大地に数え切れない人工物を建てる

        我々は世界中の海底にケーブルを張り巡らせる

       我々は大気に電波を飛ばし鳥たちの生活を脅かす 

             快適さを求める為に

 

 

 

 

 

この文章もそれらを使用している事を承知した上で書きたいと思います

 

 

以前、先進国と呼ばれる国が、他国の生活環境を脅かしている事に

ついて触れたことがありましたが、先進国といわれる日本においては

人間が自然や他の生物に対する行動はそれの比では無いように思えます。

 

 

 

今、世界で電磁波の影響を危惧する声が上がっています。

21世紀最大の公害と称して、電磁波対策に取り組み始めています。

そんななか対応策を講じないのがアメリカと日本。

 

 

 

電磁波による脳腫瘍、白血病発症の危険性は高く

白血病が5倍、脳腫瘍が10倍になると研究されています。

 

 

 

無線LAN、携帯電話、電子レンジなど私たちの生活のなかに電磁波は

色々あります。

携帯電話は持っていて当たり前、常にポケットから電磁波を放出しながら

我々は生活しています。

また、電磁波の放出量が携帯電話の比ではないスマートフォンの販売台数は

飛躍的に伸びている。

 

 

 

 

これらのことにヨーロッパではいち早く取り組んでいます

建物の規制はもちろんのこと、携帯基地局の安全性が確立されるまで

建設禁止の自治体や、電磁波過敏症を発症した方のお宅に伺い

電磁波対策を市が負担し改善させるところもあります。

イスラエルは無線LANなど無線機器を使用しないように政府が

勧告を出しました。オーストリアでも同じようなことが行われています。

 

 

日本では逆に電磁波による脳腫瘍、白血病の発症率の増加を発表していた

国立の研究所に最低の評価を下し、研究所は継続予算が取れなくなり、

研究が出来なくなったケースもあるくらいです。

 

 

 

 

以前は必要な時にだけ使用していたタクシー無線も

今は常に電波を飛ばしています。

驚くことにこの電磁波はパリの規制値の約230倍。

長時間乗務しているドライバーの人体への負担はどうなるのでしょうか?

 

 

 

 

そしてここ鎌倉周辺でも問題が起きています。

携帯基地局などのアンテナが多く立つ地域のわずか500メートルの間で

小児白血病を発症した子供が8人、うち5人が亡くなられたとの事。

こんな事が許されるのでしょうか?

 

 

 

じゃあ電磁波カットする製品を使えばいい等という問題ではないはず。

問題の根源をきっちり理解し、対応していく事をしなければ何も変わりません。

 

 

そしてマスコミは何故この問題を報道しないのか。

おそらく、報道できない何かしらの足枷があるのでしょう。

本当に大事な問題にいつも正面から立ち向かわない国、日本。

 

 

 

 

こんな問題を聞きながら、その日やっていた報道は大学入試の不正でした。

たかが入試の不正に対し警察の捜査、徐々に犯人特定情報をメディアで伝えていき人を追い詰める報道。

これでもし不正をした人が命を絶っていたらどうしていたのか。

この報道を一面記事にした新聞、トップニュースにしたTVなどの

やってることは情報を使った暴力にしか見えなかった。

 

 

 

 

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2011年

2月

24日

動乱のアフリカと希望

 

 

チュニジアから始まり、エジプト、リビアと

社会の動きが激しくなる北アフリカ。

 

 

また2月始めにはアフリカ大陸で54番目の国家誕生にむけて

スーダン南部にも大きな動きがありました。

 

スーダン南部地域の分離・独立の是非を問う住民投票が行われ

賛成98.83% 反対1.17%という圧倒的多数で南部地域の独立が決定しました。

これまでの南北内戦で200万人以上が亡くなっており

20年以上続いた住民投票はひとつの終わりを迎えることになります。

 

スーダンは北部にイスラム圏のアラブ人が多く

南部にキリスト教や他宗教の黒人が多い地域。

 

 

その南部10州が早ければ79日に独立。

数100万人の住民投票を経てこの結果。

スーダン南部では今、新しい時代の希望に満ちているのかもしれません。

 

 

 

アメリカはこのタイミングでスーダンへのテロ支援国家指定を解除。

同時にどうしても目に入ってしまう油田の二文字。

 

南北境界線には油田地帯が存在しています。

スーダンで油田開発を進める中国にあせった米国のシナリオともとれてしまう

 

一番大きな問題である油田地帯がどちらに帰属するか決まっていない状況で

高まった独立機運。

このまますんなりいくとは考えにくいが

ただすでに希望を持って生きている人達がいます。

 

 

状況が整ったとしても流れ込んでくるであろう巨大資本。

この独立が大国の野望ではなく、現地の希望になる事を望みます。

 

大国のエゴはようやく出来た希望をも食い物にすることで成り立っている。

アフリカ大陸ではずっと。

                            (蓮見 洋平)

 

 

 


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2011年

2月

17日

腐敗する自然と発酵する自然(3)

さて連続してこのテーマの冒頭の部分で「家一軒につき接着剤ドラム缶一本」

と書かせていただきました。

 

 

あの独特なにおいを嗅ぐとたいていの人は頭が痛くなります。

人間の体はちゃんと拒否してるんですね。

しかし知らない間に体には色んなものが入ってきます。

これだけの文明社会ですから、ある程度は仕方の無いことだとは思いますが

でも、分かっていながら体に悪い成分を入れ続けるのもいい気がしません。

 

 

私の親族が安くて有名な大手家具屋で箪笥を買ったら、その後

その箪笥がある部屋に入ると顔が半分引きつれる様になりました。

その症状はしばらくの間続き、ふとした拍子に症状が現れていました。

電車の中等でも突然顔の一部がつりあがって、同席者がビックリして

いたらしいです。 

 

今、世の中には化学物質化敏捷にかかっている人達がいます。

いつ起こるかわからず突然体に変化が現れたり、呼吸困難になったり。

 

日本ではそれらの症状に対しての社会保障はまだ薄いです。

役所に申請しても、精神障がい者としての年金申請になります。

また、日本の一部の医師、学者さんなどは化学物質化敏捷は身体的症状

ではない、心の病だといっています。

ドイツではすでに化学物質化敏捷を精神障がい者とするのは差別であると

発表しており、医療体制も整ってきているようです。

日本では取り組みが非常に遅く、また真摯に受け止める

つもりなんか無いかのような論理が出てきます。

実際に苦しんでいる人はいるのに。

 

 

自分の家を建てた工務店は化学物質化敏捷に悩まされるお客さん

が多く、家を建てる前にモデルハウスで生活をしてもらうんです。

接着剤、防腐剤を使わず、電磁波もカット・・・と住む人の体を

考えて建てており、お客さんもこれなら大丈夫と思ってから話を

進めるそうです。

だから、衣食についてもしっかりと取り組んでおり本当に勉強になります。

 

 

自分には無い痛みを分かる人間に成るべく、明日は化学物質化敏捷を

テーマとした映画を見てきます。

 

                           (蓮見 洋平)

 

 

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2011年

2月

11日

腐敗する自然と発酵する自然(2)

前回に引き続き今回もこのテーマで

自然栽培の野菜は腐らないと書きました。腐敗せずに発酵する。

炊いた白米は甘酒のように、大根はたくわんのように。

普通は腐ります。ドロドロの液状になって、腐敗臭がただよいます。

なぜ、そのような状態になるのか。それは問題の解決方法の違いです。

 

○収穫量を増やしたい     だから肥料で解決

○害虫、病原体が発生した   だから農薬で解決

○雑草が大変         だから除草剤で解決

 

これが近年の通常農家のやり方。でも自然栽培では上記の出来事は自然の反作用ととらえ

虫が出たということは自分たちが何かをした反動ととらえて原因を考える。

農家も自然のサイクルの中の一部と考え行動していきます。

 

「害虫、病原体が出た」だから駆除。

これだと「自分たちが正しくて相手が悪い」という人間が得意とする関係性の築き方。

自然のサイクルの中では、虫は虫が解決します。その生命もまた土に返ります。

だから土がとても強い。やわらかくて、温かい土。

そういった土を時間かけてつくっていくわけです。

そこでちょっと検証してみましょう。文章だけでは伝わりにくいと思って

自然栽培のカブと地域農家のカブを買ってきました。

ほぼ同じ条件で切ったものをビンに入れ放置します。

自然栽培に変えてまだ7年というものなので、結果は分かりませんが。

おそらく最初に書いたような結果になると思います。

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2011年

2月

07日

腐敗する自然と発酵する自然(1)

家一軒に使われる接着剤の量  ドラム缶1本

一日に摂取している食品添加物  80種類以上

 

我々の住む社会では口に入れるもの

吸っている空気を選びにくくなってきています

この通信で口にしてきている、自然より資本を優先する社会作りが

こういった現状を作り上げていると思います。

 

それは当然のことながら自然と向き合う農業にさえも現れています。

日本の農薬散布量はOECDの調査ではなんと世界第2位です。

1位はお隣の韓国です。この2国が郡を抜いて高く、大体上位2国が

入れ替わり上位争いをしているのが現状です。

よく「中国産は危ない」などと耳にしますが、日本だって十分に危ないんです。

なんせ世界2位という上位ランカーですから。

 

ただ中国はOECD加盟国でないのでランキング戦に入ってはきませんが

入ってきたら上位争いにくいこんでくるんでしょうね。

東アジアはそろいもそろって何をやってんの・・・・

と思いつつも、そうせざるをえない状況が農業にあるのでしょうかね。

 

 

ちなみにミニトマトの農薬散布は11ヶ月で約48回蒔くらしいです。

きゅうりは7ヶ月で約33回。結構な感じでいってますよね。

よくスーパーにある有機、無農薬栽培とうたった野菜などは

認定農薬を使っています。結局無農薬ではないんです。

 

 

また有機野菜だから安心と言った神話は気をつけたほうがいいですね。

有機肥料により硝酸性窒素の濃度が高くなり赤ちゃんなどには危険です。

海外では死亡例もあるくらいです。

 

 

今農業界ならずとも注目を浴び始めた自然栽培。

それは無農薬、無肥料の栽培。

 

 

野菜を生長させる科学的肥料、また動物性有機や植物性有機は

野菜を無理に大きくさせる。

また、そういったものは出荷ベースにあわせて成長を早くさせています。

そうです、こういったところで資本が自然より上回ってるんですね。

 

そういった野菜はすべて葉がきれいな緑色をしていて、根っこが小さい。

むりに成長させているから軽い。

 

逆に自然栽培の大根を食べたのですが、重いししっかりとした

歯ごたえがある。生命力を感じます。

 

 

またすごいことにそういった野菜は腐らないんです。

こうやって聞くとちょっとオカルトっぽいかもしれませんが

検証されており、実は皆さんも体験している人がいるかもしれません。

人間が肥料で手を加えたものは腐るけど、

山と同じように自然界のものは枯れるんですね。

腐敗と発酵の違いです。

 

それの火付け役が奇跡のりんごでおなじみの木村さん。

あのりんごも腐らずに枯れます。自宅でおいておいたのですが段々としぼんでいきました。

みなさんも自宅の庭木の果物で同じ経験がありませんか?

肥料もやらずほったらかしにしておいたものがなかなか腐らなかったこと。

そういったものは発酵します。

 

 

 

何故そういったことがおきるのか・・・・それはまた次回。

 

このテーマもとても長くなりそうなので、まだ書いていきます。

実験を入れてもいいかもしれませんね。

 

 

また長くなってしまった。

  

                             (蓮見洋平) 

 

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2011年

2月

02日

桃井和馬さんが本を発売しました

先月、集英社新書から桃井和馬さんの「妻と最後の十日間」が発売されました。

 

死に向かって行く自分の最愛の人に夫として、ジャーナリストとして

本気で向き合い、苦悩し抜いた話です。

今日本にある普遍的な愛情の形に一石を投じる。そんな本だと僕は思って

います。

 

読み終えた直後にメールを送ったら、桃井さんから本に対する想いを

いただきました。

 

 

 

 

 長年、世界各地の現場で取材し、撮影するなかで、ひとつ

心に決めていることがあった。他者を取材し、発表する以上

必要があれば自分のことも、自らの言葉と写真で公にしなければならない。

紛争や飢餓の現場で多くの死を取材対象としてきた者の

これが死者に対する礼儀であり、矜持だった。

 

 それが突然訪れてしまったのだ。健康だった妻が、急性の

「くも膜下出血」により、意識が一度も戻らないまま10日間で

他界したのである。

 医者や宗教者と同様、「死」に慣れ、耐性を持つと信じていた私だが

死に近づく妻を前に、肉体的に追い詰められ、精神的に崩れていった。

であるなら、事実を見つめることを仕事にしてきた者として、この最期の

プロセスと、それを見つめる者たちの混乱する様子を記録しなくてはならない。

 

 病床で取り始めたメモを元に、原稿を書き始めた。それは

己の精神に、あたかもノミをコツコツと打ち込む行為で、文字は

書くものではなく、刻むものだと感じるようになった。同時に

妻の日記を繰り返し読む中で、私の意識の中に住み始めた妻と

自然な形で対話し続けていることにも気づいた。

 

 身内の不幸を書く行為が正しいのか、否か。自ら発した数々の問いを

その都度「妻」と話し合い、文字に起こす。その中で、世界の現場で

見続けたいくつもの死を、改めて思い出し、死の意味を考え直した。

生きている人間と同じ数だけ訪れる死。死とは、当たり前の日常的出来事なのだろう。

ならなぜ、人は身近な者の死を前に、これほどまで冷静さを無くてして

しまうのか。すべての宗教が死を中心テーマに置き、人々はその全容を

理解したいと願いながら、しかしまだ見たことがない領域。生きている者に

とって、死とは・・・。

書き上げるまでに3年がかかってしまった。その間、野宿で四国遍路を

繰り返し、世界各地の大自然に何度も身を置いた。それは生と死を考え続け

価値感を共有するパートナーの大切さを改めて感じた時間でもあった。

 

 

 

略歴

ももいかずま 1962年山口県生まれ。写真家、ジャーナリスト。

これまで世界140ヵ国を取材し、「紛争」「地球環境」などを基軸に、

独自の切りで「文明論」を展開。第32回太陽賞受賞。

著書に「すべての生命にであえてよかった」など。

 

 

「桃井和馬」さんのHP

「妻と最後の十日間」

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2011年

2月

02日

チュニジアの火種と心構え

チュニジアで起こった出来事が、思わぬ形で周囲に飛び火しました。

1月26日エジプトで30年の長期政権に対して起こった反政府デモ

数万人で始まったこのデモは、たった6日で100万人に膨れ上がりました。

 

エジプト国軍はデモやストライキは国民の権利として武力行使をしないと表明。

デモ隊に便乗したミイラを盗んだ略奪犯に、反政府デモ隊と協力して

奪い返すなどしたみたいです。

警察の表明は今のところ無し。

 

ただこのデモで300人の方が亡くなっているそうです。

 

国に声を上げるのに命まで落としていいのか

それぐらいしなきゃ国を変えることは出来ないのか

 

などと考えさせられてしまいます。

 

日本とエジプトでは、背景、基盤などが違いますからなんともいえませんが

かつては日本でも、デモによって本気で日本を変えようとしていた

人達もいたんですよね。

エジプト国軍ではないですけどデモ、ストライキは国民の権利というのは、

世界共通の認識だと思いますが、悲しい事に今の日本には、そのやり方では

響かないものがあるのでしょうね。

 

エジプトは30年の政権に終止符をと国民が動いています。

日本はどうでしょうか?

長期にわたる自民党政権から、民主党に移行しました。

手渡された日本は多額の借金。未解決の問題が山積。

自民党と馴れ合ってきた関係機関。

 

そんな早くに結果は出ないのは当たり前だと思うのですが、自民党寄りの

テレビ局などは早々とバッシング。

別に民主党支持と言ったわけではないのですが、あまりにも報道のあり方と、

それに乗っかる我々視聴者が情けない気がしています。

 

民主党になって即座に解決した問題。

自民党が放置されていた問題に対して即差に対策を立て始めたこと

などの報道は一切無し。

 

マイノリティな人達に対する支援は自民党のころより、ずいぶんましに

なりましたけどね。

 

「今まで散々腐った政治してきたんだから、そりゃ膿も出ますわ。」

ともう少し成り行きを見てもいいんじゃないでしょうか。

 

せっかく未解決の問題に取り組み始めた議員さんが、本来のそれに取り組めず、

バッシングなどの対応に迫られていて、なかなか取り組めていませんと謝って

いました。

 

実力を出し切れない状況を作っておいてバッシングっていじめと

あんまり変わらないんじゃないかな。

駄目なら駄目で言えばいいけど、揚げ足を取る政治と報道に国民も

付き合っちゃいかんでしょ。

 

 

                          (蓮見 洋平)

 

 

 

 

 

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2011年

1月

31日

Twitterはじめました

Twitterをはじめました!

 

 

アカウント名は、

 

chikyu22

 

です。

 

よろしくおねがいします!

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2011年

1月

28日

福祉という言葉と関西の起爆剤

福祉とは何か・・・。

今まで福祉業界に携わりながらも実はあまり考えた事がない。

 

 

 

 

昔、相手のニーズにこたえることが福祉なら、ラーメン屋も福祉じゃないのか?

と友人に言われたことがあります。

その人は福祉の業種では先輩にあたり、色んな実体験を経て出てきた言葉。

その頃、なるほどと思いながら聞いていましたが、僕は自身未だに福祉を

言葉であらわせないでいます。

ですが言葉では表せないけど、こんな感じかな・・・っていうのはあります。

 

 

 

自分の福祉像みたいなものを変えたのは関西でした。

福祉に携わっていない人でもあまりに自然に話している。

いい意味でうっとうしい位のおせっかい感、この距離感が当時の僕と

その当事者の方との関係性を見事に壊してくれました。

一緒に海外旅行をし、お互いに飲んで、お互いの悩みを相談して、

必要なときだけ介助する。それが僕の基礎を作りました。

 

脳性まひを持っている友人が

「俺は言葉も上手くしゃべれないし、手足も動かないから、

彼女を作るのにはコツがいるんだ。」

なんてこっそりとそのやり口を教えてくれたり

相談に乗るのが上手な人で、女の子が泣きながら相談していたら、女の子の

肩に手を回し、僕のほうを見て「ニヤリ」としたり

 

 

またある国では車椅子を押してた僕のポケットにお金を入れてくる人がいて

「おまえ、えらいな。」みたいなこと言われて

二人で「ふざけんな。」と怒った記憶があります。

お金はもらっちゃったんですけどね(笑)

 

 

 

そんな体験を繰り返しているうちに、自分のなかで「福祉」というものが

大分変わってきたのを覚えています。

その後に福祉の業種で仕事についたのですが、その間の経験は未だに

一番重要だったと感じています。

 

福祉というものを、言葉ではなく捕らえるためにはどうしたらいいんだろう

と当事者である友達と飲みながら良くそんなことを話していました。

 

 

今、その関西でバリバラという番組があります。

これを見たとき「やってくれるぜ。」と心底思いました。

非常に面白く、理解しやすく、よく考えると奥が深い。

障害を売り物にしていると賛否両論あるらしいのですが、僕は痛快さを

覚えました。

当事者の方が主体になっているその目線はまさに自分が体験してきたもの

ではないだろうかと感じました。

これは勉強にもなりますし、これが福祉という見えない垣根をぶち壊せる

起爆剤になればいいと思いました。視聴できるので是非見てください。

 

                           (蓮見 洋平)

 

 

バリバラ  http://www.nhk.or.jp/kira/post/baribara.html

(バリアフリーバラエティー)

 

きらっといきるhttp://www.nhk.or.jp/kira/index.html

(こちらの番組内でバリバラのコーナーがあります) 

 

 

 

 

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2011年

1月

18日

銃社会と各国の描写

「アメリカの高校で銃暴発」こんなニュースがありました。

 

聞きなれてしまった気がしますが。よくよく考えたらとんでもない事ですよね。

生徒のかばんに入っていた銃が暴発って・・・・。

 

学校に銃を持ってくる理由。

それ以前に銃が手に入ってしまう状況。

 

こういった事件を聞くと、社会全体で人を殺す道具に対しての壁みたいなものはとっくに崩壊しているんだろうなと思ってしまいます。

銃社会では恨みを買っていなくても、こんな事が起きてしまうんですね。

高校の時の鞄なんか雑誌と弁当くらいだったけどな~。

 

中南米の国で昔起きたの内戦の影響で銃が出回っていたことがあり、現地で自動小銃を持った警官に護衛してもらったのですが、銃口がこっちに向いてないだけで安心できるものでは無かったです。

またイスラエルでターミナルのトイレに入っていたら、後ろから軍人が3人入ってきて自動小銃をぶら下げていました。たしかマガジンは外してあったと思うのですが、そこまで見る余裕など無く、肩からぶら下げたそれに目が行き、一瞬「やばい、終わった」と思ってしまいました。やっぱり怖かったですね。

 

色んな国の映画を見てて思うのですが、銃に対する描写が各国によって違いますよね。あくまでも怖いものとして表現するか、何か守る為にかっこよく表現するか。

これは非常に大きなことだと思います。

ドキュメンタリー映画が好きでよく見るのですが、期間限定でネットにて面白そうな映画をやってます。

何本かみたいなと思う映画もあり、好きな人は見たくなると思います。

お時間があるときに是非ごらんになってはどうでしょうか?

 

「松島×町山 未公開映画祭」

http://www.mikoukai.net/

 

(蓮見 洋平)

 

 

 

 

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2011年

1月

17日

幸せの基準とその価値(2)

人間の根源とは何か。

現代社会において、この根源が揺らいでいるような気がしています。

 

食べる、寝る、次の世代に引き継ぐ。

これが地球上に住む生物としてずっと続いている事だと思います。

皆さんはこの中で軽視しているものはありますか?

 

こういった人間の基礎的な部分が粗末に扱われていると感じざるをえません。

日本の食に対する基盤にあるのは価格になっています。

質ではなく「安ければいい」という質より価格の優先順位が高いのです。

ある方が「消費者が神様という言葉は消費者の欲望を最大化したいという売り手の下心を隠す表現」といっていました。

消費者の欲望の優先順位が価格ではなく質であったらどうでしょうか?

商品の生産、流通、販売までが質を気にしたら。

そうなれば「食」の生産基盤は長期的に細くなるといった事態は避けられるのではないでしょうか。

 

また農業など体を使う職業が軽視されがちな現代社会の風潮も、人間の根源より経済が上回っている事の現われではないでしょうか。

農業、漁業など自分の生活に必要な基盤を整えることで、自分たちは経済を作ることが出来るわけで、経済がそれらを支配しているわけではないと考えたいです。実際にはお金のやり取りがあるのですが・・・。

 

軽視される理由のひとつとして、生産者と消費者の実体ある信頼関係が結べていないこともあると思います。これは昨日書かせてもらった「顔の見える関係」に通じるものがあって、間にいくつかの会社が入るのではなく、出来るだけそれらをシンプルにしていくこと、もしくはそういった必要性をしっかり考えているところから物を買う。それがいろんな事を変えていけると思っています。

 

パソコンでも携帯電話でも、便利さ・効率の良さは無条件に歓迎されます。それは遅いよりは早いほうがストレスにもならず楽ですし、私もパソコンが遅いと時々イライラしてしまいます。

ですが、便利さを得ることによって失われるものへの想像力の欠如が資本の優先を許し、生産者も質より価格の見直しを優先してしまうと思います。

 

料理は、ひと手間かければ格段においしくなるのは料理をする人なら誰でも知っていることです。「労を惜しまず」ですね。食に関わるものはスピードを求めすぎないと考えたいです。

ろくに眠らずに忙しく働いたことを誇る自分よりも、「あ~良く寝た。さて今日も頑張るぞ。」といえる人達の作る社会のほうが魅力的に感じてしまうのは自分だけでしょうか?

 

     

                                             (蓮見 洋平)

 

 

 


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2011年

1月

17日

忘れてはいけない出来事と準備

平成7年の今日、阪神淡路大震災がありました。

私自身はそこの住んでいなかったので、直接的な怖さは分からないのですが、以前震災の支援に関わったことで怖さの片鱗を知ることができました。

 

1999年に起こったトルコの震災と台湾の震災の支援にかかわりを持ちました。

実際台湾には訪れて、現地の支援団体にお世話になりました。

一緒に行った方の中に阪神淡路大震災の経験者の方がおられました。

現地の団体は震源地の都市部ではなく、少し離れた村に拠点を構え周囲の支援に当たっていました。

理由は都市部には支援が行きやすいが離れた村には支援が行くことは無いとの事でした。

そこでは冷凍用コンテナを事務局兼寝床として寝袋で生活していました。

冷凍用コンテナだと台湾の冬は乗り切れるとの事でしたが、結構寒かったです。

冷凍用のコンテナを改造して図書館にしたり、コの字型に並べ真ん中に広場を作ったりと色々工夫していました。

都市部では公園にはテントが並んでいましたが、露天などがあり、震災から1ヶ月後くらいで比較的整備はされておりました。

人はすでに震災を糧に生活していると思うくらい町はにぎわっていましたが、それは楽観視した私の甘い考えだったと痛感させられました。

裏通りの個人宅については崩れたままでした。若い男性が私だけだったので全壊、半壊のお宅から衣類を取り出し家族に手渡しをしていました。

受け取った家族はその洋服を握り締め、大声で泣きながらその場に崩れていました。

台湾では震災の復興にいち早く宗教団体が整備をはじめ、仮設住宅を設置しました。その仮設住宅を見たのですが、かなり立派で数も非常に多く設置されていました。

 

自分にとっては人は支えあって生きているということを考えさせられる出来事になりましたが、地域とのつながりが日ごろから重要になってくるとも思いました。

震災の裏では人為的な2次災害とも呼べる出来事が増える危険性もあると思います。防災グッズの準備だけでなく、日ごろからの近所づきあいも大切ですよね。

        

                            (蓮見 洋平)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年

1月

16日

科学での検証と昔から言われていること

先日アメリカの研究チームで人種差別を科学的に減少させられる可能性を示した研究が発表されたとのことです。

 

白人の被験者に似ている顔つきの黒人男性の顔を見分ける訓練を行ったところ、無意識の偏見を測定するテストで、人種的慣用度が向上した。これには相手を個人として扱うようにすることが出来れば、ステレオタイプ効果を減少できる。それが人種差別の減少につながることが出来るのではないかと言ったことでした。

 

これは昔からよく障害者福祉や海外支援などの分野でも言われるようなことで、「顔の見える関係作り」がそれにあたるのではないかなと思います。

そこからまず自分の中にある壁を取り除いて考えていくこと。

わざわざ科学で行う必要があるのかどうかは別にして、人種でなくて個人、障害でなくて人間を見よう。これは絶対に必要な考え。

文章、映像だけで○○人はどうとかって言ってても何もなりませんからね。

僕の友達には障害を持った人が何人もいます。他の友達と同じように、友達に紹介して遊びます。そうすると別に福祉とか関係なく友人も自ら自分の中の壁を壊して付き合うようになっていきます。

そういうところから変わると信じてますから、特にマイノリティな人たちとの交流がしやすい世の中にしていかないといけないですね              

                             (蓮見 洋平)

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2011年

1月

15日

頑張れ受験生と昔のレベル

ぼちぼちセンター試験なんですね。

今が一番苦しいときの受験生。頑張ってください。

 

ラジオで知りましたが、数学の試験レベルは昔に比べて高くなっているみたいです。

だからお父さん、お母さんに「自分たちが学生の頃はこれくらい出来たぞ」などと言われてしまっては少し可愛そうですね。

 

受験生を見習って、年をとっても勤勉でありたいですね

                            (蓮見 洋平)

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2011年

1月

13日

気力と可能性

「人間には多くの可能性がある」とかよく聞きそうな言葉ですが、本当に人間には色んな可能性が秘められているのだなと考えさせられました。

 

 

今、ある原稿を預かっており、それをPC入力しているのですが、そこに書かれている人間の奇跡とも呼べる出来事。

ここで内容を書くことは出来ないのでご紹介できなくて残念ですが、人間とは自分の気力でここまでのことが出来るのか。と思ってしまいました。

 

 

人間は医療の持つ常識、自分たちが考えている常識なんてものを飛び越えることが出来る可能性を秘めているんですね。

 

またその可能性をものにするのは自分の人生への向き合い方のような気がしました。                  

ここで紹介できないのが本当に残念。いつか紹介したいとおもいます。

 

                            (蓮見 洋平)

 

 

 

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2011年

1月

12日

家いじりと写真

自分の家を少しずついじっていく。

 

面倒くさいように思えて、実はすごく楽しいこと。

 

そう思うと家に帰るのが楽しくなる。

 

 

今、自宅の壁を塗り始めました。

職人さんに教わりながら、下地処理をして、薄く塗り重ねて・・・と

とても難しい。

仕上げ方にもよるのですが、こて跡を残さないようにするのは素人では絶対無理な高い技術が要求されます。

自分で塗ったところと、職人さんが塗ったところの差がはっきりと出るのでビックリします。

長年積み重ねた技術とはすごいものですね。

 

家の壁を塗り終えるのに一年くらいかかりそうだ    

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2011年

1月

11日

業種とちょっとした妬み

厚生労働省が行った給与調査で都道府県別に平均月額が算出されたそうです。

東京都36万4800円~沖縄県22万3900円

 

この数字を見ると、業種による格差は都道府県別の格差の比ではないなと単純に思ってしまいました。

私が以前まで働いていた社会福祉の分野は現代社会にとって必須のもので、それこそ歴史の授業で覚えている人もいると思いますが「大宝律令」から始まり、現在の社会福祉にいたるまで、いろんな障害・差別などを経て、今でも現場で声を上げながら働いている業種だとおもっています。

給料が安いとはもちろん思っていましたが、こうして数字を見るとなんだか悲しくなってしまう程です。

「じゃあ給料を上げるために民間の参入だ」と簡単に割り切れないところもあるんですね。

それは利益と社会保障の共存が難しいというのも一つの理由じゃないでしょうか。

 

他の業種でも天候に左右されやすい農業や漁業、伝統的なやり方で衣食住に関わっているいい仕事をする人達もまた単純に利益とは共存できない状況があるかもしれません。

 

だからと言って他を不必要な業種と言っているのではありませんが、個人的にはシンプルに丁寧に生活していくことが、世の中を正常なスピードに戻すと思っているので、できればあんまり格差が出来ないことを祈りたいですね。

福祉の業種でよくある話が、自分の収入では一人暮らしで着ないし、結婚出来ないとよく話しに出ますからね。 

ま、それを言ったら芸術で生きている人は一番厳しいのかもしれないですね

                             

念のためこちらに金額が出ています

http://www.asahi.com/business/update/0111/TKY201101110370.html?ref=goo

 

                             (蓮見 洋平)

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2013年

7月

18日

戦争をやめて進化した国

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2013年

1月

29日

「World cafe@高校生」ラジオ出演

高校生達と一緒に行っている取り組みをFM横浜の番組で取り上げて下さいました。
当日、高校生は緊張しながらも楽しんでしゃべっていました。


2月9日のワールドカフェに是非お越し下さい 

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2012年

8月

29日

やっと出来上がりました

一年以上かかりましたが、ようやく女川カレーの製造が女川町で行われる様になりました。

 

記念すべき一個目は社長が自ら完成させ、皆でガッツポーズ。

これからまだまだ軌道に乗るまでが大変ですが、応援宜しくお願いします!

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2012年

8月

14日

過去の写真をupします。内装工事(壁塗り)

希望の鐘商店街内の女川カレー作業場の壁塗り風景の写真をupします。

 

 

鎌倉すざくご協力で墨塗料を塗りました。
当日はすざくの職人さんに教わりながら、自分達で塗れる場所は自分達で行いました。

 

なかなか渋いです。

 

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2012年

7月

18日

明日から女川にいってきます

明日からちきゅうの子22スタッフ全員で女川に行きます。

報告は又後日行います。

 

 

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2012年

7月

06日

福祉の垣根

私は障がい者福祉に関わる仕事をしておりました。
しかし仕事を始める前からそういった方面と妙に縁があり、仕事以外の所で自分の

福祉感と言ったものが出来上がったと思っています。

 

それまで障がいを持った方(今では大切な友人)と海外を回り、偏見の眼差しを強く感じる国、また垣根無く接してくる国、様々見てきました。

そのような観点で日本を見た時

日本はどんな国なんでしょう?

 

僕個人としては前者、後者どちらも感じる事はあるのですが、隠れた前者に寄っているかなと考えています。
もちろん地域差はあると思うのですが。 

そういえば以前似た様な事を書きました。

http://chikyu22.jimdo.com/2011/01/28/

地域、やり方によってはそんな垣根は簡単に超えられると思っています。

 

 

先日、一緒に海外を回ったその友人と13年ぶりに旅に出ました。

 

空港、機内、現地移動、宿泊場所。
やはりどれも友人が一人で回るのには厳しい状況でした。

まず車いすの選択から始めます。

電動車椅子で行ければ、自分の意思で楽しめる。

手動だとどうしても介助者に気を使ってしまう事もあります。

 

現地での移動手段、金銭面、介助者の負担等、色々なメリット、デメリットを並べ、今回は残念ながら手動で行く事になりました。

 

 

行く場所、内容によって本当に選択が難しいのです。

以前は国によって道路状況、段差が全然違いますから。電動、手動の2つを用意していたので対応が楽でした。

 

今回は介助者が私のみ。

最初から一台を選ぶしかない状況でした。

 

 

「旅行」ではなくあくまでも「旅」

これから毎年続けて最後は中南米に行こうとお互い話し、いつか障がい者でも簡単に旅が出来るようになれば、色んな垣根を超える事は出来ると思っています。

<蓮見 洋平>

 

 

 

 

 

 

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2012年

7月

06日

商店街内装作業風景

4月時に行った希望の鐘商店街の店舗内装作業風景を上げておきます。

 

しばらく泊まり込みで朝から晩まで作業しておりました。

朝から晩まで大変でしたが、以前に塗った黒い壁と木の壁が以外と渋い仕上がりです。

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2012年

3月

22日

コンテナ村のでデッキもあとわずか

12月から取り組み始めたこのプラン。

残りわずかで完成となります。

 

 

マンパワーって凄いですよね

ピースボートさんにお願いしてよかった。

 

 

 

凄いですよ。

 

 

 

夏にコンテナ村にいらっしゃった方!!

是非デッキを見にもう一度いらして下さい!!

 

 

 

もう一度言います。

 

凄いですよ。ほんとに。

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2012年

3月

22日

商店街完成まであとわずか

昨年5月から取り組んでいた女川高校校庭の仮設商店街もあとわずかでとりあえず完成となりました。

 

3月中の引き渡しで、4月末にオープニングセレモニーを行う予定です。

 

 

よもやあの時持ちかけた話が、こんな大事になるとは思っても見ませんでした。

女川町の皆様はさすがですね。

当初の規模より3倍位にふくれあがってますから。

 

我々は主に金銭面でのサポートで動いておりましたが、現場で土地、各商店との打ち合わせなど調整して来られた方の大変さは計り知れません。

本当にお疲れ様です。

 

 

また完成後の運営も含め色々大変な所は有ると思いますが、大きな希望ですから町全体で盛り上がるといいですね。

 

 

女川町では誰よりも早く動いた方達によるコンテナ村商店街もあります。

今度出来る仮設商店街だけでなく、コンテナ村にも必ず足をお運び下さい。

とっても温かい雰囲気で出迎えてくれますよ。

 

そちらの報告は別で載せます。

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2012年

3月

12日

遠方からの祈り

3月10日、11日と鎌倉で鎮魂の場に参加させていただきました。

 

女川で向かえようと思っていたのですが、やはり11日は地元の方の日にちとして伺う事を取りやめました。そのかわり18日に女川で行われる復興祭は参加する予定です。

 

 

鎌倉では10日に長谷寺で4つの宗派が垣根を越えて夕方から

11日は鎌倉プリンスホテルにて海に向かって追悼の祈りを捧げました。

 

 

一年についてはまた別に書きます。

取り急ぎ。

 

 

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2012年

3月

01日

3月11日 FM横浜 ラジオゲスト出演 

FM横浜 毎週日曜日12:30〜放送「この街のたからもの~Treasure of This Town~」にゲスト出演します。

 

女川町での活動の事を少し話をさせていただきます

 

 

 3月11日(日)12:30〜

「この街のたからもの~Treasure of This Town~」

http://blog.fmyokohama.jp/takara/

 

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2011年

10月

06日

鎌倉由比ガ浜商店街報告

9月18日に鎌倉由比ガ浜商店街にて

 

東日本大震災復興支援イベント

「つなげ!とどけ!鎌倉由比ガ浜より熱きメッセージ」が開催されました。

 

鎌倉市役所の災害対策本部内で行われた報告会でお会いした

由比ケ浜商店街の皆様にお声をかけていただいて、参加させていただきました。

 

東北の物産品の販売と屋台、そして東北で活動している鎌倉の団体による

パネルディスカッション。

 

僭越ながらパネルディスカッションに参加させていただきました。

参加団体は鎌倉とどけ隊 森下真司さん、鎌倉建築組合 高野孔二さん

     柞の森音楽祭実行委員  斉藤美代子さん、と私。

 

神奈川県商工労働局産業部 商業まちづくりグループの鈴木 博明さんに

コーディネーターをやっていただきました。

 

それぞれの立場からの震災の視点があり、こちらも非常に勉強になりました。

 

 

活動のベースは違っても、高い意識をもって地域に返すと言った点では共通しているようでした。

 

 

かねてから、被災地域から学び

災害に強い町鎌倉として全国に発信できる町になれば良いと思っていました。

こういった事をきっかけに関心が高まる事を切に願います。

 

 

会場に女川出身の方がお見えになられ、始まる前にご挨拶をさせていただきました

震災後の女川しか知らない私がその方を前にして、話をするのが申し訳なく思っていたのですが、終わった後その方と涙を流しながらこみ上げる気持ちを抑え

今後もご協力させていただく旨を伝えさせていただきました。

 

最近、周囲で女川の方に会うとなんだかホッとします。

 

また今回はじめに挨拶をしてくださった由比ケ浜商店街の大木さんも

自ら石巻で活動を行われていました。

どうやら同じ日に石巻専修大学で寝泊まりしていたようで、不思議な縁を

感じました。

 

由比ケ浜商店街の皆様本当にありがとうございました。

 

(蓮見 洋平)

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2011年

9月

13日

半年経って

10日(土)に女川町商工会から青山さんと阿部さんにお越し頂いて

話をしていただきました。

 

 

 

3月11日に沿岸部で津波にあった青山さん。

 

沿岸部の商工会議所は指定避難所になっており、青山さん達は立場上、

建物から出るわけにはいかなかった。

津波はとてつもない早さで4階まで埋め尽くし、慌てて屋上へ。

すぐに屋上も海水に覆われ、給水タンクに取り残された4人。

 

鉄柱にしがみつきながら振り返ると、津波に飲み込まれた町が。

どんどんあがってきた海水は足下に

鉄柱にしがみついた4人は死を覚悟して

青山さんは自分のネクタイを鉄柱にくくり付け、残った4人で

来世で会いましょうと会話をしたとの事。

 

 

 

しかし奇跡的に海水が足下で止まる。

 

 

そして今度は引き波がはじまり、家屋が海に引き戻されていく。

ぶつかった家屋は爆発するかのように高いしぶきを上げて木片を散らばらせる。

引き波がどれだけ恐ろしいか実際、間近で見たものしか分からない話だ。

 

引き波で流される人々を目にしながら、奇跡的に生き残った青山さん

 

 

 

同じ沿岸部にあるわが町

「鎌倉はそんな大きな波は来ないよ」と言う声を聞く事もある。

 

しかし青山さんは

「極端な話、震度3でも逃げるくらいのつもりでいた方がいい。」

 

「逃げても、生きろ」

「過信はしてはいけない」

 

出てくる言葉は、自身が身を以て体験して出てきた、とても重い言葉だ。

 

 

自分の町ではどうするか、本当に考えなければならない。

当日市長が来てくださった。

 

他の職員は来られなかったが、それでも市長が来てくださっている事は

それだけ関心をもって下さっているとわかるだけで、我々も心強い。

 

 

地域力、セーフティーネットなどの見直し

なんとか民間と行政とで連携のとれる体制を作っていく事はできないか感じる。

 

 

 

 

青山さん達は休みも無く、毎日夜中まで働いている。

どうか体調だけは崩されないよう、切に願う。

 

 

震災から半年。

 

 

(蓮見 洋平)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年

9月

07日

桃井和馬さんテレビ放送

以前、後援会を行ってくださった、フォトジャーナリストの桃井和馬さんが

NHKの旅のチカラ『アンデス 星と雪の巡礼〜写真家 桃井和馬」が放映されました。

南米ペルーアンデスの整地を亡くなられた奥様を胸に抱き、標高5000mの

「星と雪の聖地」と呼ばれる場所を目指します。

 

見逃された方は

 

●再放送 9月8日(木)朝8:30~9:27 BSプレミアム 9月10日(土)朝7:45~8:42 BSプレミアム

●国際放送(日本時間) 10月2日(日) 26:00~

 

 

上記日程でも放送いたします。

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2011年

4月

25日

3月11日 と 3.11

3月11日以降、日本全土が復興というものに向けて動いている

自分もその一人だ。

僕自身現場に何度か出入りして支援をしている。

これからも現地をみて行動したいと思っている

 

でも、某CMなどを見ていると、少し不安になってしまう。

テレビからはよく聞こえてくるのは強い日本、がんばろう日本、立ち上がれ日本

 

「一丸となる」それ自体は目標をなす上では必要なことだと思う。

ただ闇雲な気持ちの共有は思わぬ方向に自体が進むこともある。

あの9.11後の日本のように。

 

当時有事にむけて国は浮き足立ち、本質を見失った。

人気先行の政治家は常軌を逸した支持率という名の下に

弱者を叩くことに加担し続けた。強者に正義はないと知りながらも

きらびやかな経済に目を奪われた強者は昔ながらのつながりを分断し

市町村を合併させることで地方の基盤を脆弱化させた。

 

あの時と今はもちろん違う。

しかし、浮き足立った状況とどこか全体主義な感覚は似ていると思う。

何を目指すべき復興とし、何を見失ってはいけないか

行って感じたが、一番しっかりと腰をすえているのは被災地の方々かもしれない。

 

テレビはあおり映像とも取れるほど被害の大きかった地域の映像を流し続ける。

地震の後買いだめに走り、物がなくなり、ガソリンがなくなり、水がなくなる。

大人の不安が、簡単に子供に伝染する。

被災地では、子供の不安を防ぐ為にそれこそ大人が「一丸となって」いるのに。

 

 

とにもかくにも報道は報道の仕事をせずに、現政府を叩くのに必死。

原発を推進し続けていたかつての政党や原子炉メーカーには何も言わずに

あまりにも勉強不足な人物が原発について無責任な発言を繰り返している。

 

 

これだけ地震と津波により原発の被害を受けているにもかかわらず、

なお原発を推進する人はなんなんだろう。

人の痛みが分からないのか、痛みを承知のうえで今の基準を保ちたいのか。

 

 

いや、そんな事ではない。当然そこにはおいしい話があるからだ。

日本の原発技術輸出ビジネスは1基あたり4000億円と超ビックビジネス。

原子炉メーカー名は出さないが各メーカーでの受注目標は2015年までに39基、

2025年までに30基と精力的に受注を狙っている。

 

昨年10月に電力会社、原子炉メーカー、関連機器メーカーによる原発セールスの

官民合同出資会社が設立されベトナムの受注にも成功している。

 

 

しかし今、小さなエネルギーで大きな電力と金を産むこの欲望と犠牲の上に成り立つ、

人智を超えた「素晴らしきエネルギー事業」は、地球に牙を向いた。

 

これを予想し続けた人達はずっと昔から声をあげていた。

残念ながら耳を傾ける人は少なく、時には煙たがられる狼少年のような

ぞんざいな扱いをうけた。

 

経団連の米倉会長は

「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしい、原子力事業は胸を張るべき」

と発言した。もはや救いがたい。これを是非福島県民の前で言って欲しい。

2005年に三陸をおそったマグニチュード7.2の地震でも女川原発の原子炉は

3基緊急停止。

想定基準を超える地震と報道された。

 

3月11日の地震では8.4のマグニチュードは突如今までの測定方法を変更し

9.0と発表。

もはや気象庁の行動すら想定外だ。

 

 

脱原発はデータから言っても無理ではない。

特に断層の上に建つ浜岡原発に関しては中部電力の15%の使用量。

十分無くてもやっていける。いや、そういう道に進まなければいけない。

 

ついでに言うと家庭の電気使用量は30%ではない

30%というのは民生という分類でその中に家庭と

事業(デパート、オフィス、病院)区分けがある。

なので、実際は10%後半といったところ。

電力を余らせない為、供給先を見つける、負荷平準化と言った言葉も存在する。

 

世界では自然エネルギーでやっていこうとしている国があるのか

それはノルウェーやコスタリカである。

コスタリカでは水力と地熱で国の電気がまかなわれている。

実は、そのコスタリカに地熱発電の技術を伝えたのが日本。

そんな技術を持ちながら日本の地熱発電は総電力の0.2%

 

 

 

これから時機を見て「より安全な原発」といった発言も出てくるだろう。

おそらく国づくりの頭数に我々は入っていない。

民意と国は別のところで動いているからだ。

中身の見えない世論調査などで

「次のエネルギーが見つかるまでは必要だと思う○○%」

報道による捻じ曲がったデータを信じてしまう我々。

「民意おそるるに足らず」

これが今までの国のあり方。

 

こういった事を止めるには勉強しかない。

それはデータを集めるとかってことだけではなくて

どうすれば民意が政治に伝わるか、それにはどこに、どのように伝えるか

そういった方法論が必要になってくる。

 

 

3月11日の出来事を3.11と呼ぶ気になれない。

それはきっと自分にも少なからず痛みをともなっているからだと思う。

東北にいってからあの光景が夢に出続ける事を僕は医者に相談した。

避難された方のそういった相談が非常に増えているらしい。

大人でこれだから、子供の心の奥底にこんな思いを潜ませてはいけない。

安心して感情が吐き出せる場所を作ることも大切な支援。

 

そういえば9.11も最初はそう呼びたくなかったことを今、思い出した。

あの出来事にも痛みを持っていた事があった自分に少しホッとした。 

(蓮見 洋平)

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2011年

4月

16日

東北報告 石巻市

時間が空いてしまいましたが報告の続きをします。

 

 

私たちはその後七ヶ浜などの沿岸部を見ながら石巻市に向かいました。

やはり石巻市でも家屋の前に積みあがる家具や畳等、路上にひっくり返った車

といった見慣れてしまった光景が続いていました。

ここも同様に深刻な被害状況だと思い沿岸部付近に近づいたら

自分の目を疑いました。

 

 

どこまでも続いている何メートルも積み上げられた廃材

焼け焦げた車、冠水した道路、家が家を押し流してがけ際に溜まっている。

自分がいったい何を見ているのか、ここがどこなのか分からなくなる。

現実として受けとめることの難しい光景でした。

 

 

つい10分ほど前に車で走っていたていた場所では郊外地でよく見るような

大型スーパーが開いており、震災の影響があったように思えない

ごく普通の状況でしたが、郊外から街の中心部、沿岸部に行くにつれて

状況が段々変わってくるのです。

 

高台である日和山公園から見る壊滅的になってしまった石巻の沿岸部は

頭から離れる事がありません。

 

高台であるその場所から

黙って街を見下ろし続ける家族

インパクトの強い画を撮ろうとする報道関係者

自分たちのように県外から来て被災現場をみる者

様々な人が訪れていました。

 

 

そんな石巻市には大きな災害ボランティアセンターが専修大学の

中に存在します。

そこは他の地域よりセンターの規模が大きく、社会福祉協議会、NGOなどが

連携をとり、多くの力が全国から集まってきます。

私たちもそこにテントを張り寝泊りしました。

 

かつて行動を共にした友人なども来ており、お互いに情報交換をして

現地団体からも現状を教えてもらいました。

 

石巻ではボランティア導入の数も非常に多く、受け入れ態勢も

しっかりしているところです。社会福祉協議会のボランティア保険に

加入していれば、いつでも参加できます。

保険は掛け捨てで一番高いプランでも720円です(天災Bプラン)

寝床の無い人用のエアドームというテントを用意していたのですが、

風が強いためかなかなか実現できていないので、行かれる方は現地に確認するか、ご自分でテント等ご用意下さい。

 

前回の報告で触れた自宅の泥かきは石巻で行いました。

ボランティアに行かれる方は是非、読んでみてください。

 

 

石巻沿岸部の様子です。

 

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2011年

4月

14日

4月14日(木)炊き出し@宮城県女川町/東北電力宮ケ崎アパート 一号棟集会場前

 

 

4/14追記 場所が決まりました。
 東北電力宮ケ崎アパート、一号棟集会場前です。
 12時から行ないます。 お待ちしております。

4/14追記2
夕食時は、女川第三小学校へ行きます。

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2011年

4月

13日

炊き出し:できることを出来る範囲でやります

 

 

被災地の方たちに喜んでもらえることはなんだろう?

ちきゅうの子22では、被災地域で炊き出しをはじめます。

被災地ごとに被害の状況が違い、
また支援物資の量・内容やボランティアの人数も避難所ごとに違っています。
メディアによる報道量と支援の必要度合いには相関関係がなく、
注目されにくい地域が存在しています。
必要なもののニーズも各地でバラバラです。


当初は、後方支援のみを行う予定でしたが、
実際に現地に行き、人手不足を目にし、
まだ現地で力になれることはたくさんある、と感じました。

大量の支援物資が全国から届いていても、現場では手が足りず、
通常の物流のように円滑にさばくことはできません。

私たちは自分たちで見た限りに於いて、
必要と思われるものを考え、
その中で自分たちでできそうなことを実行し、
被災地の方々を応援していきます。

 


被災地の方たちに喜んでもらえることはなんだろう?
私たちが石巻・女川地区でお話を聞き、感じたことからの判断です。

 


ガスが使えない環境で、冷たいものばかり。単調なメニューの食事が続いている。

あたたかいもの。そして栄養を満たすための食糧ではなく、
味わう楽しみがある美味しい料理をお届けします。


当初1,000食単位の炊き出しを計画していた。

現在は、「1000食よりも300食×3のような、各地域避難所の収容規模に合わせた量の方がありがたい」とのこと。
なるべく支援の手が薄くなりがちな、各地域の避難所、災害地区で炊き出しを行ないます。


週末は全国から炊き出しの方が来てくれる。

私たちはできるかぎり平日に行きます。



主に、津波の被害が大きく、県外ボランティアの少ない、
女川町を中心に支援を検討しています。

そして、栄養を満たすための「食糧」ではなく、
おいしい「料理」をお届けします。


日に日にニーズも量も変わっていきます。
現地訪問を重ねる中で情報収集し、

時期に合わせより的確な支援へと調整していきます。

 

 

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2011年

4月

13日

一緒に炊き出しをしていただける方募集中!

 

 

被災地の方たちに少しでも喜んでもらえることはないだろうか?

現地の皆さまには、継続的な支援が必要です。

 

ちきゅうの子22では、炊き出し活動を行ないますが、

一緒に応援していただける方を随時募集しています。

 

・鎌倉での応援(調理仕込み/準備など)
・現地での応援(炊き出し/呼びかけ/整理など)
・移動の応援(車の運転交代/車をお貸しいただける方など)
・特技での応援(マッサージ/美容・理容など現地でやっていただける方)
・物資での応援(食材/食器類などのご提供)

 

どなたさまも、出来る範囲で結構です。

 

炊き出ししていただける飲食関係の方いらっしゃいませんでしょうか?

またプロジェクト支援金も受け付けております。
(ガソリン代、高速代、食材・資材の購入費用など経費に用います)

 

 

こちらからご連絡ください。

http://ow.ly/4z0hz 

 

_____________________________
炊き出し日の基本スケジュール

◯前日
   午後 仕込み
   深夜 出発

◎当日
   早朝 女川到着
   午前 準備
   正午 炊き出し
   午後 片付け
   夕方 女川出発

◯翌日
   早朝 都内及び鎌倉で解散

 

(一緒に来ていただける場合、交通費を一部ご負担いただきます)

______________________________


現地に一緒に来ていただける場合は、
基本的に0泊3日(車中泊、またはテント泊)の強行スケジュールになります。
体調のすぐれない方にはおすすめできないので、
移動を伴わない形でご参加ください。

 

 

がんばろう 東北!

 

 

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2011年

4月

08日

東北報告1とこれから

塩釜市、多賀城市、七ヶ浜、名取市、仙台市

石巻市、女川町と見て回ってきました。

 

まず感じたことが、報道では分からなかった街の姿でした。

東北道のインターから仙台駅に向かうバスの中から見える風景の中に

全壊の家、半壊の家といったものが目に入ってくることはなく

それこそガラスが割れたとかそういったもので、これまで自分が見た

震災後の街とは少し違いました。

 

名取市の友人から地域によって全然違うし、同じ地域でもニーズが違うと

聞かされた意味が分かりました。 

 

駅前はにぎわっており、テントと寝袋、食料をパンパンに詰めた

バックパックを背負っている自分たちの姿は異質でした。

報道で流れていた映像と結びつかない。 津波による被害というものを

知らないわけではないのですが、映像とのあまりの開きに驚きました。

 

 

目的地に向かう為、タクシーに乗り多賀城市付近を通り始めると

光景は一変しました。

どうも道路が埃っぽいなと思っていたら、車がひっくり返り

家屋の外に積み上げられた土嚢袋と湿った畳。

沿岸部から離れた地域だったのですが、目を疑うような光景でした。

 

仙台港の影響からタンクローリーなどが流れ着いていました。

地元の人から色々と伺いました。

津波は波そのものの力と、浮いてしまった車、家などが周りを壊しながら

押し寄せてくる。

それ以上の速さの引き波ですべてを海に引っ張っていく。

空のタンクローリーなどは浮き袋とかわらない。

頭で理解しようとしてもその光景に追いつけないのが正直な感想。

 

被害状況のすさまじいところの報道はかなり流されているものの

他の地域も同様に大変な状況でした。

 

数100メートル離れたところでは私たちの知る日常の生活風景があります。

しかしほんの数分もしないうちに様子が変わってきます。

 

だからといって見た目の被害が少ない地域に支援の必要が無い

わけではありません。

 

沿岸部に家族や友人がいたかもしれない。仕事場があったかもしれない。

数日間そこにいただけの自分でさえ、毎晩瓦礫の夢を見るようになりました。

瓦礫の横を子供たちが歩いています。この光景が日常になってしまった

子供たちの心も心配です。

こんな時よりいっそう後回しにされがちな障がい者支援。

震災から一ヶ月。非日常からだんだんと日常になるにしたがって

現れてくるであろうPTSDなどの精神的なケア。

 

 

 

今、我々に出来ることは限りなくあります。

今後の復興資金のために募金ももちろん必要です。

残念ながら壊滅的となってしまった沿岸部でも

今まだまだ、民間にしか出来ない必要な支援もあります。

 

災害ボランティアセンターなどでの県外ボランティアの仕事は

主に自宅の泥かきです。毎日ボランティアセンターにたくさんの

要望が入ります。

今は県内の人達が頑張っています。

出来れば県内の人達がこれからを考えていける状況を

我々県外の人間が動いて作るべきだとも思いました。

 

また、これからボランティアに行かれる方は

是非考えておいて欲しいことがあります。

 

泥かきで自宅を訪問する際に、

我々にとっては瓦礫、泥にまみれた服と思ってしまう

かもしれません。

でも、その木も服もすべて大切なその家の人の持ち物です。

 

私も単身生活のおばあちゃんの家を手伝いました。

自分の家だったらと必ず考えてください。

どろにまみれてしまった服が孫からプレゼントされたものだったら?

時間をかけてやっと建てた家だったら?

 

一緒に捨てるもの、捨てないものを選別しました。

泥にまみれても、とっておくものはちゃんととっておくんです。

一通りすべてを外に出し終わった後、おばあちゃんに呼ばれて

「やっぱり、あれ戻しといてくれない?」

心が苦しくなります。

 

県外にいる人はインフラ整備のため、いったんは県外退避して

そのあと地元にもどったほうが良いと、効率を考えます。

私もそう思ったこともありました。

 

でも泥だらけになっても住みたいんです。

産業が復興できるか分からないけど住みたいんです。

 

そんな人がいる限り、支援の手は切ってはいけない。

そこに残る人がいるのであれば、それに付き合おうと思いました。

 

 

なかなか、文章がまとまらないのが今の心境です。

ただやることは一杯あります。

何かしたいけどどうしたらいいか分からないという方がいらっしゃったら

是非ご連絡下さい。

もし僕に出来なくても一緒に考えれば何かできるかも知れないですからね。

 

(蓮見 洋平)

 

 

名取市沿岸部の写真を上げさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

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2011年

4月

08日

東北地方の報告について

この文章を書くにあたって、現地を回って

改めて東日本関東大震災で被災された皆様に

お悔やみ、お見舞い申し上げます。

 

今回訪れた地域の被災状況を写真入りで載せるべきなのか考えてきました。

現地で写真を撮ることについて、文章を書くことについて

報道でもない外部の人間がして良いのか、でも報道は何も伝えてない。

そんな事がぐるぐる頭の中をめぐっていました。

しかし地元の方に「ちゃんと伝えてください」と言われた事できっちりと

伝えようと思いました。 

 

少しずつアップしていきます。

 

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「大いなる独り言」

 

被害の酷い状況だけ報道し美談を流す報道。

そんな酷い状況ならボランティアには何も出来ない。

という論調も生まれてきました。

もちろんタイミングはありますが・・・これによって多くのマンパワーが

間接的支援に回ったのだと思います。もちろん悪いことではないです。

 

しかし現地は被害状況が様々で既に人の手を必要としているところもあります。

現地の人が自分たちの生活、会社をそっちのけでボランティアしているのに。

僕たちは自分達の生活をキープしてる。

 

もう既に県外のマンパワーを必要としています。

 

被害に格差があればニーズが様々なのは当たり前。

物資を全国が送れば、物資を配布する人数が手一杯になるのは当たり前。

現地にニーズは山ほどあるのに・・・。

 

こういった支援はタイミングが本当に重要だといつも思います。

そのタイミングを上手く伝えるのが報道であったり

他県の自治体だったりするのではないでしょうか?

 

だから僕たちは現地に行く必要があると思い直接見てきました。

皆さんのエネルギーを活かすための情報収集、行動が円滑にすすめば

いいと思っています。

一人では不安という方は僕たちと行けばいい。

そうやって力が伝染すればいい。

 

(蓮見 洋平)

 

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2011年

4月

05日

現地より:塩釜市、多賀城市の様子

 

4月4日から被災地へ入りました。

 

今回の目的は、

・少量の物資をお届けすること(高速バス移動につき微々たるものですが)

・計画している支援実施に向けた現況把握です。

 

複数箇所で現地の支援ボランティアに参加しながら、

「被災地の方々が必要とされているもの・こと」を

お聞かせいただこうと思います。

 

4月4日

仙台から塩竈へ。

ボランティアセンターにて事務局長さんに話を聞きました。

ボランティアは色んな人の力でもう終わりに向かっていると聞く。

センターは活気に溢れ、世代を飛び越えた方々が活動していました。

復旧は比較的早く進んでおり、塩釜市での今後のボランティアの

緊急的ニーズは減ってくる模様。

しかしそれでも少し歩くと色んな光景が。

沿岸部は未だ酷い。

この震災の規模は計り知れないと思いました。

 

またその手前の多賀城市も津波の爪あと激しく、

あちこちの道路脇に車がひっくり返っています。

 

沿岸部は建物がなくなっているため、

かなり寒さを感じます。

 

 

詳細はまた後日報告いたします。

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2011年

4月

01日

まわってきます

 

ちきゅうの子22では来週から被災地に行ってきます。

 

 

今、地域では手があまってるのに何も出来ない。

そんな状況ですが、被災地ではやはり圧倒的に手が足りていない。

何が出来るのか、どんな連携が取れるのか、報道やネットだけではなかなか

分からない部分も含め見てきます。

 

現状の支援が行き届き、2の手3の手の支援が出来る体制を整えないと

いけないですからね。

 

向こうから更新します。

 

 

 

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2011年

3月

29日

出来ることは何

多くの人が被災地で我々には考えの及ばないような

大変な思いをしているのでしょう。

 

被災地にいない我々の多くは自分たちに何が出来るかで

頭をなやませているでしょう。

 

 

 

被災地にいない自分たちが今、出来ることは何なのか?

 

 

被災地に行って支援をすること

自分の持ち場を全うすること

募金すること

 

色々あると思います。

 

その中でやはり考えておいたほうが良いのが、目指すべき復興が何なのかだと思います。

 

 

「人が笑って暮らせるような日本」とかそう言ったことではなく。

それはもちろん必須事項ですが・・・・。

 

 

良くも悪くも今は、殆どの行動に復興という2文字がついて来る状況です。

我々は今「早く復興したい。」その思いは殆どの人が持っていると思います。

したがって復興につながるものは何でも受け入れやすい状態かもしれません。

 

 

だからこそ目指すべき復興とは何か、何をもって復興ととらえるか

天災と人災を切り離して冷静に考える等、しっかり見るべきではないでしょうか?

 

 

 

今、被災地に「何が出来るか分からないけどを何かをしたい」という思いを

強く持っている人は大勢います。 

 

何も出来ない自分はネットにある様な不要なボランティア論などに

当てはまるのではないか等と思わないで欲しいです。

 

立派なマンパワーですから。是非その気持ちを持って地元地域の

ボランティアセンター等に行ってみてください。

その気持ちは受け止めるべき立場の方々は受け止めますから。

 

 

しかし現状、受け止めるべきところに情報が不足していることも事実です。

行ってみたものの何もやることが無いかも知れません。

 

 

仙台の福祉施設の連絡会でまとめた書類を拝見させてもらいました。

福祉の現場では予想どおり手が足りない状況が続いています。

 

たとえば通所型の福祉施設はまず通うことがケアの一つですから、開所します。

現場では利用者の方々にも震災の影響で調子を崩す人が増えており

通常より忙しい状態。しかし施設自体の復旧に現場職員の手がとられます。

そして職員自体も被災者と一人で何役もこなす状況です。

職員が倒れたらアウトです。長期戦になればなるほど状況は悪化します。

 

 

ライフライン以外の様々な分野で我々の出来ることはあります。

福祉はもともと自分の分野。でも皆さんもおそらく得意分野があるでしょう。

現地のニーズをみてそれを活かせば十分な支援が出来ます。

 

 

なるべく生きた情報、市民だからこそ出来る支援、ニーズなどを

発信できるように被災地に行く予定です。

 

                          (蓮見 洋平)

 

 

 

 

 

 

 

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2011年

3月

27日

こんな時だからこそ

3月11日の東北関東大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

 

 

あの日から2週間が過ぎました。

いつもならこの時期は「光陰矢のごとし」と新たな年度を迎える

準備をしている時だと思います。

 

しかし多くの人は僕と同じように思考の停止と再生を繰り返し

今までに無く重く長い2週間だったと思います。

 

 

情報に疲れ、状況に疲れ、先を考えると不安かもしれません。

目に見えない小さなストレスが少しずつ自分の心を覆っているかもしれません。

 

でもそれは当然のことだと思います。

誰も経験のしたことのない状況が今ですから。

 

 

なんとなくこんな状況だからストレス発散しにくい・・・とか

考えずにストレスは出来るだけ発散して、脳と心にいい状況で

物事を考えましょう。

 

 

これからやるべき事は山積みなのですから。

 

 

 

 

 

さてこんな時に、いやこんな時だからこそ一度は聞いて欲しい。

 

ソウルフラワーユニオンというバンドの満月の夕べという曲があります。

 

彼らは「現場」主義で

神戸でも、フジロックでも、ドヤ街でも、東ティモールでも

とにかくいろんな「現場」で歌っています。

 

満月の夕べは神戸の震災で作られた歌で、本人たちが現地に入って歌い続け

今も長田の人達に愛されている曲でもあります。

 

 

僕の文章では曲の良さを紹介出来無そうなので

とりあえず聞いてみてください。(歌から聴きたい人は3:40位からです)

 

 

先ほど、僕と同じくこの曲を大切に想っている仙台の友人から

2週間ぶりにお風呂に入ることが出来たと連絡が来ました。

 

                            (蓮見 洋平)

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2011年

3月

12日

大地震発生について

3月11日に大震災が発生しました。

被災者皆さまの被害、ご苦労、そして悲しみは

我々の想像をはるかに絶しております。

 

私たちができる最善の事はなんでしょうか。

現地に駆けつけたい思いを抑えつつ、

遠くからでも力になれることを考えていきたいと思います。

 

今はただ一つ、

絶望せずに生き続けてください。

日本中が皆さんを応援しています。

 

具体的なアクションをお待ち下さい。

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2011年

2月

27日

あくなき欲望の招くものと人の罪

 

 

           我々の欲望はどこまで続くのか

      我々は自然を壊し大地に数え切れない人工物を建てる

        我々は世界中の海底にケーブルを張り巡らせる

       我々は大気に電波を飛ばし鳥たちの生活を脅かす 

             快適さを求める為に

 

 

 

 

 

この文章もそれらを使用している事を承知した上で書きたいと思います

 

 

以前、先進国と呼ばれる国が、他国の生活環境を脅かしている事に

ついて触れたことがありましたが、先進国といわれる日本においては

人間が自然や他の生物に対する行動はそれの比では無いように思えます。

 

 

 

今、世界で電磁波の影響を危惧する声が上がっています。

21世紀最大の公害と称して、電磁波対策に取り組み始めています。

そんななか対応策を講じないのがアメリカと日本。

 

 

 

電磁波による脳腫瘍、白血病発症の危険性は高く

白血病が5倍、脳腫瘍が10倍になると研究されています。

 

 

 

無線LAN、携帯電話、電子レンジなど私たちの生活のなかに電磁波は

色々あります。

携帯電話は持っていて当たり前、常にポケットから電磁波を放出しながら

我々は生活しています。

また、電磁波の放出量が携帯電話の比ではないスマートフォンの販売台数は

飛躍的に伸びている。

 

 

 

 

これらのことにヨーロッパではいち早く取り組んでいます

建物の規制はもちろんのこと、携帯基地局の安全性が確立されるまで

建設禁止の自治体や、電磁波過敏症を発症した方のお宅に伺い

電磁波対策を市が負担し改善させるところもあります。

イスラエルは無線LANなど無線機器を使用しないように政府が

勧告を出しました。オーストリアでも同じようなことが行われています。

 

 

日本では逆に電磁波による脳腫瘍、白血病の発症率の増加を発表していた

国立の研究所に最低の評価を下し、研究所は継続予算が取れなくなり、

研究が出来なくなったケースもあるくらいです。

 

 

 

 

以前は必要な時にだけ使用していたタクシー無線も

今は常に電波を飛ばしています。

驚くことにこの電磁波はパリの規制値の約230倍。

長時間乗務しているドライバーの人体への負担はどうなるのでしょうか?

 

 

 

 

そしてここ鎌倉周辺でも問題が起きています。

携帯基地局などのアンテナが多く立つ地域のわずか500メートルの間で

小児白血病を発症した子供が8人、うち5人が亡くなられたとの事。

こんな事が許されるのでしょうか?

 

 

 

じゃあ電磁波カットする製品を使えばいい等という問題ではないはず。

問題の根源をきっちり理解し、対応していく事をしなければ何も変わりません。

 

 

そしてマスコミは何故この問題を報道しないのか。

おそらく、報道できない何かしらの足枷があるのでしょう。

本当に大事な問題にいつも正面から立ち向かわない国、日本。

 

 

 

 

こんな問題を聞きながら、その日やっていた報道は大学入試の不正でした。

たかが入試の不正に対し警察の捜査、徐々に犯人特定情報をメディアで伝えていき人を追い詰める報道。

これでもし不正をした人が命を絶っていたらどうしていたのか。

この報道を一面記事にした新聞、トップニュースにしたTVなどの

やってることは情報を使った暴力にしか見えなかった。

 

 

 

 

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2011年

2月

24日

動乱のアフリカと希望

 

 

チュニジアから始まり、エジプト、リビアと

社会の動きが激しくなる北アフリカ。

 

 

また2月始めにはアフリカ大陸で54番目の国家誕生にむけて

スーダン南部にも大きな動きがありました。

 

スーダン南部地域の分離・独立の是非を問う住民投票が行われ

賛成98.83% 反対1.17%という圧倒的多数で南部地域の独立が決定しました。

これまでの南北内戦で200万人以上が亡くなっており

20年以上続いた住民投票はひとつの終わりを迎えることになります。

 

スーダンは北部にイスラム圏のアラブ人が多く

南部にキリスト教や他宗教の黒人が多い地域。

 

 

その南部10州が早ければ79日に独立。

数100万人の住民投票を経てこの結果。

スーダン南部では今、新しい時代の希望に満ちているのかもしれません。

 

 

 

アメリカはこのタイミングでスーダンへのテロ支援国家指定を解除。

同時にどうしても目に入ってしまう油田の二文字。

 

南北境界線には油田地帯が存在しています。

スーダンで油田開発を進める中国にあせった米国のシナリオともとれてしまう

 

一番大きな問題である油田地帯がどちらに帰属するか決まっていない状況で

高まった独立機運。

このまますんなりいくとは考えにくいが

ただすでに希望を持って生きている人達がいます。

 

 

状況が整ったとしても流れ込んでくるであろう巨大資本。

この独立が大国の野望ではなく、現地の希望になる事を望みます。

 

大国のエゴはようやく出来た希望をも食い物にすることで成り立っている。

アフリカ大陸ではずっと。

                            (蓮見 洋平)

 

 

 


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2011年

2月

17日

腐敗する自然と発酵する自然(3)

さて連続してこのテーマの冒頭の部分で「家一軒につき接着剤ドラム缶一本」

と書かせていただきました。

 

 

あの独特なにおいを嗅ぐとたいていの人は頭が痛くなります。

人間の体はちゃんと拒否してるんですね。

しかし知らない間に体には色んなものが入ってきます。

これだけの文明社会ですから、ある程度は仕方の無いことだとは思いますが

でも、分かっていながら体に悪い成分を入れ続けるのもいい気がしません。

 

 

私の親族が安くて有名な大手家具屋で箪笥を買ったら、その後

その箪笥がある部屋に入ると顔が半分引きつれる様になりました。

その症状はしばらくの間続き、ふとした拍子に症状が現れていました。

電車の中等でも突然顔の一部がつりあがって、同席者がビックリして

いたらしいです。 

 

今、世の中には化学物質化敏捷にかかっている人達がいます。

いつ起こるかわからず突然体に変化が現れたり、呼吸困難になったり。

 

日本ではそれらの症状に対しての社会保障はまだ薄いです。

役所に申請しても、精神障がい者としての年金申請になります。

また、日本の一部の医師、学者さんなどは化学物質化敏捷は身体的症状

ではない、心の病だといっています。

ドイツではすでに化学物質化敏捷を精神障がい者とするのは差別であると

発表しており、医療体制も整ってきているようです。

日本では取り組みが非常に遅く、また真摯に受け止める

つもりなんか無いかのような論理が出てきます。

実際に苦しんでいる人はいるのに。

 

 

自分の家を建てた工務店は化学物質化敏捷に悩まされるお客さん

が多く、家を建てる前にモデルハウスで生活をしてもらうんです。

接着剤、防腐剤を使わず、電磁波もカット・・・と住む人の体を

考えて建てており、お客さんもこれなら大丈夫と思ってから話を

進めるそうです。

だから、衣食についてもしっかりと取り組んでおり本当に勉強になります。

 

 

自分には無い痛みを分かる人間に成るべく、明日は化学物質化敏捷を

テーマとした映画を見てきます。

 

                           (蓮見 洋平)

 

 

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2011年

2月

11日

腐敗する自然と発酵する自然(2)

前回に引き続き今回もこのテーマで

自然栽培の野菜は腐らないと書きました。腐敗せずに発酵する。

炊いた白米は甘酒のように、大根はたくわんのように。

普通は腐ります。ドロドロの液状になって、腐敗臭がただよいます。

なぜ、そのような状態になるのか。それは問題の解決方法の違いです。

 

○収穫量を増やしたい     だから肥料で解決

○害虫、病原体が発生した   だから農薬で解決

○雑草が大変         だから除草剤で解決

 

これが近年の通常農家のやり方。でも自然栽培では上記の出来事は自然の反作用ととらえ

虫が出たということは自分たちが何かをした反動ととらえて原因を考える。

農家も自然のサイクルの中の一部と考え行動していきます。

 

「害虫、病原体が出た」だから駆除。

これだと「自分たちが正しくて相手が悪い」という人間が得意とする関係性の築き方。

自然のサイクルの中では、虫は虫が解決します。その生命もまた土に返ります。

だから土がとても強い。やわらかくて、温かい土。

そういった土を時間かけてつくっていくわけです。

そこでちょっと検証してみましょう。文章だけでは伝わりにくいと思って

自然栽培のカブと地域農家のカブを買ってきました。

ほぼ同じ条件で切ったものをビンに入れ放置します。

自然栽培に変えてまだ7年というものなので、結果は分かりませんが。

おそらく最初に書いたような結果になると思います。

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2011年

2月

07日

腐敗する自然と発酵する自然(1)

家一軒に使われる接着剤の量  ドラム缶1本

一日に摂取している食品添加物  80種類以上

 

我々の住む社会では口に入れるもの

吸っている空気を選びにくくなってきています

この通信で口にしてきている、自然より資本を優先する社会作りが

こういった現状を作り上げていると思います。

 

それは当然のことながら自然と向き合う農業にさえも現れています。

日本の農薬散布量はOECDの調査ではなんと世界第2位です。

1位はお隣の韓国です。この2国が郡を抜いて高く、大体上位2国が

入れ替わり上位争いをしているのが現状です。

よく「中国産は危ない」などと耳にしますが、日本だって十分に危ないんです。

なんせ世界2位という上位ランカーですから。

 

ただ中国はOECD加盟国でないのでランキング戦に入ってはきませんが

入ってきたら上位争いにくいこんでくるんでしょうね。

東アジアはそろいもそろって何をやってんの・・・・

と思いつつも、そうせざるをえない状況が農業にあるのでしょうかね。

 

 

ちなみにミニトマトの農薬散布は11ヶ月で約48回蒔くらしいです。

きゅうりは7ヶ月で約33回。結構な感じでいってますよね。

よくスーパーにある有機、無農薬栽培とうたった野菜などは

認定農薬を使っています。結局無農薬ではないんです。

 

 

また有機野菜だから安心と言った神話は気をつけたほうがいいですね。

有機肥料により硝酸性窒素の濃度が高くなり赤ちゃんなどには危険です。

海外では死亡例もあるくらいです。

 

 

今農業界ならずとも注目を浴び始めた自然栽培。

それは無農薬、無肥料の栽培。

 

 

野菜を生長させる科学的肥料、また動物性有機や植物性有機は

野菜を無理に大きくさせる。

また、そういったものは出荷ベースにあわせて成長を早くさせています。

そうです、こういったところで資本が自然より上回ってるんですね。

 

そういった野菜はすべて葉がきれいな緑色をしていて、根っこが小さい。

むりに成長させているから軽い。

 

逆に自然栽培の大根を食べたのですが、重いししっかりとした

歯ごたえがある。生命力を感じます。

 

 

またすごいことにそういった野菜は腐らないんです。

こうやって聞くとちょっとオカルトっぽいかもしれませんが

検証されており、実は皆さんも体験している人がいるかもしれません。

人間が肥料で手を加えたものは腐るけど、

山と同じように自然界のものは枯れるんですね。

腐敗と発酵の違いです。

 

それの火付け役が奇跡のりんごでおなじみの木村さん。

あのりんごも腐らずに枯れます。自宅でおいておいたのですが段々としぼんでいきました。

みなさんも自宅の庭木の果物で同じ経験がありませんか?

肥料もやらずほったらかしにしておいたものがなかなか腐らなかったこと。

そういったものは発酵します。

 

 

 

何故そういったことがおきるのか・・・・それはまた次回。

 

このテーマもとても長くなりそうなので、まだ書いていきます。

実験を入れてもいいかもしれませんね。

 

 

また長くなってしまった。

  

                             (蓮見洋平) 

 

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2011年

2月

02日

桃井和馬さんが本を発売しました

先月、集英社新書から桃井和馬さんの「妻と最後の十日間」が発売されました。

 

死に向かって行く自分の最愛の人に夫として、ジャーナリストとして

本気で向き合い、苦悩し抜いた話です。

今日本にある普遍的な愛情の形に一石を投じる。そんな本だと僕は思って

います。

 

読み終えた直後にメールを送ったら、桃井さんから本に対する想いを

いただきました。

 

 

 

 

 長年、世界各地の現場で取材し、撮影するなかで、ひとつ

心に決めていることがあった。他者を取材し、発表する以上

必要があれば自分のことも、自らの言葉と写真で公にしなければならない。

紛争や飢餓の現場で多くの死を取材対象としてきた者の

これが死者に対する礼儀であり、矜持だった。

 

 それが突然訪れてしまったのだ。健康だった妻が、急性の

「くも膜下出血」により、意識が一度も戻らないまま10日間で

他界したのである。

 医者や宗教者と同様、「死」に慣れ、耐性を持つと信じていた私だが

死に近づく妻を前に、肉体的に追い詰められ、精神的に崩れていった。

であるなら、事実を見つめることを仕事にしてきた者として、この最期の

プロセスと、それを見つめる者たちの混乱する様子を記録しなくてはならない。

 

 病床で取り始めたメモを元に、原稿を書き始めた。それは

己の精神に、あたかもノミをコツコツと打ち込む行為で、文字は

書くものではなく、刻むものだと感じるようになった。同時に

妻の日記を繰り返し読む中で、私の意識の中に住み始めた妻と

自然な形で対話し続けていることにも気づいた。

 

 身内の不幸を書く行為が正しいのか、否か。自ら発した数々の問いを

その都度「妻」と話し合い、文字に起こす。その中で、世界の現場で

見続けたいくつもの死を、改めて思い出し、死の意味を考え直した。

生きている人間と同じ数だけ訪れる死。死とは、当たり前の日常的出来事なのだろう。

ならなぜ、人は身近な者の死を前に、これほどまで冷静さを無くてして

しまうのか。すべての宗教が死を中心テーマに置き、人々はその全容を

理解したいと願いながら、しかしまだ見たことがない領域。生きている者に

とって、死とは・・・。

書き上げるまでに3年がかかってしまった。その間、野宿で四国遍路を

繰り返し、世界各地の大自然に何度も身を置いた。それは生と死を考え続け

価値感を共有するパートナーの大切さを改めて感じた時間でもあった。

 

 

 

略歴

ももいかずま 1962年山口県生まれ。写真家、ジャーナリスト。

これまで世界140ヵ国を取材し、「紛争」「地球環境」などを基軸に、

独自の切りで「文明論」を展開。第32回太陽賞受賞。

著書に「すべての生命にであえてよかった」など。

 

 

「桃井和馬」さんのHP

「妻と最後の十日間」

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2011年

2月

02日

チュニジアの火種と心構え

チュニジアで起こった出来事が、思わぬ形で周囲に飛び火しました。

1月26日エジプトで30年の長期政権に対して起こった反政府デモ

数万人で始まったこのデモは、たった6日で100万人に膨れ上がりました。

 

エジプト国軍はデモやストライキは国民の権利として武力行使をしないと表明。

デモ隊に便乗したミイラを盗んだ略奪犯に、反政府デモ隊と協力して

奪い返すなどしたみたいです。

警察の表明は今のところ無し。

 

ただこのデモで300人の方が亡くなっているそうです。

 

国に声を上げるのに命まで落としていいのか

それぐらいしなきゃ国を変えることは出来ないのか

 

などと考えさせられてしまいます。

 

日本とエジプトでは、背景、基盤などが違いますからなんともいえませんが

かつては日本でも、デモによって本気で日本を変えようとしていた

人達もいたんですよね。

エジプト国軍ではないですけどデモ、ストライキは国民の権利というのは、

世界共通の認識だと思いますが、悲しい事に今の日本には、そのやり方では

響かないものがあるのでしょうね。

 

エジプトは30年の政権に終止符をと国民が動いています。

日本はどうでしょうか?

長期にわたる自民党政権から、民主党に移行しました。

手渡された日本は多額の借金。未解決の問題が山積。

自民党と馴れ合ってきた関係機関。

 

そんな早くに結果は出ないのは当たり前だと思うのですが、自民党寄りの

テレビ局などは早々とバッシング。

別に民主党支持と言ったわけではないのですが、あまりにも報道のあり方と、

それに乗っかる我々視聴者が情けない気がしています。

 

民主党になって即座に解決した問題。

自民党が放置されていた問題に対して即差に対策を立て始めたこと

などの報道は一切無し。

 

マイノリティな人達に対する支援は自民党のころより、ずいぶんましに

なりましたけどね。

 

「今まで散々腐った政治してきたんだから、そりゃ膿も出ますわ。」

ともう少し成り行きを見てもいいんじゃないでしょうか。

 

せっかく未解決の問題に取り組み始めた議員さんが、本来のそれに取り組めず、

バッシングなどの対応に迫られていて、なかなか取り組めていませんと謝って

いました。

 

実力を出し切れない状況を作っておいてバッシングっていじめと

あんまり変わらないんじゃないかな。

駄目なら駄目で言えばいいけど、揚げ足を取る政治と報道に国民も

付き合っちゃいかんでしょ。

 

 

                          (蓮見 洋平)

 

 

 

 

 

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2011年

1月

31日

Twitterはじめました

Twitterをはじめました!

 

 

アカウント名は、

 

chikyu22

 

です。

 

よろしくおねがいします!

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2011年

1月

28日

福祉という言葉と関西の起爆剤

福祉とは何か・・・。

今まで福祉業界に携わりながらも実はあまり考えた事がない。

 

 

 

 

昔、相手のニーズにこたえることが福祉なら、ラーメン屋も福祉じゃないのか?

と友人に言われたことがあります。

その人は福祉の業種では先輩にあたり、色んな実体験を経て出てきた言葉。

その頃、なるほどと思いながら聞いていましたが、僕は自身未だに福祉を

言葉であらわせないでいます。

ですが言葉では表せないけど、こんな感じかな・・・っていうのはあります。

 

 

 

自分の福祉像みたいなものを変えたのは関西でした。

福祉に携わっていない人でもあまりに自然に話している。

いい意味でうっとうしい位のおせっかい感、この距離感が当時の僕と

その当事者の方との関係性を見事に壊してくれました。

一緒に海外旅行をし、お互いに飲んで、お互いの悩みを相談して、

必要なときだけ介助する。それが僕の基礎を作りました。

 

脳性まひを持っている友人が

「俺は言葉も上手くしゃべれないし、手足も動かないから、

彼女を作るのにはコツがいるんだ。」

なんてこっそりとそのやり口を教えてくれたり

相談に乗るのが上手な人で、女の子が泣きながら相談していたら、女の子の

肩に手を回し、僕のほうを見て「ニヤリ」としたり

 

 

またある国では車椅子を押してた僕のポケットにお金を入れてくる人がいて

「おまえ、えらいな。」みたいなこと言われて

二人で「ふざけんな。」と怒った記憶があります。

お金はもらっちゃったんですけどね(笑)

 

 

 

そんな体験を繰り返しているうちに、自分のなかで「福祉」というものが

大分変わってきたのを覚えています。

その後に福祉の業種で仕事についたのですが、その間の経験は未だに

一番重要だったと感じています。

 

福祉というものを、言葉ではなく捕らえるためにはどうしたらいいんだろう

と当事者である友達と飲みながら良くそんなことを話していました。

 

 

今、その関西でバリバラという番組があります。

これを見たとき「やってくれるぜ。」と心底思いました。

非常に面白く、理解しやすく、よく考えると奥が深い。

障害を売り物にしていると賛否両論あるらしいのですが、僕は痛快さを

覚えました。

当事者の方が主体になっているその目線はまさに自分が体験してきたもの

ではないだろうかと感じました。

これは勉強にもなりますし、これが福祉という見えない垣根をぶち壊せる

起爆剤になればいいと思いました。視聴できるので是非見てください。

 

                           (蓮見 洋平)

 

 

バリバラ  http://www.nhk.or.jp/kira/post/baribara.html

(バリアフリーバラエティー)

 

きらっといきるhttp://www.nhk.or.jp/kira/index.html

(こちらの番組内でバリバラのコーナーがあります) 

 

 

 

 

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2011年

1月

18日

銃社会と各国の描写

「アメリカの高校で銃暴発」こんなニュースがありました。

 

聞きなれてしまった気がしますが。よくよく考えたらとんでもない事ですよね。

生徒のかばんに入っていた銃が暴発って・・・・。

 

学校に銃を持ってくる理由。

それ以前に銃が手に入ってしまう状況。

 

こういった事件を聞くと、社会全体で人を殺す道具に対しての壁みたいなものはとっくに崩壊しているんだろうなと思ってしまいます。

銃社会では恨みを買っていなくても、こんな事が起きてしまうんですね。

高校の時の鞄なんか雑誌と弁当くらいだったけどな~。

 

中南米の国で昔起きたの内戦の影響で銃が出回っていたことがあり、現地で自動小銃を持った警官に護衛してもらったのですが、銃口がこっちに向いてないだけで安心できるものでは無かったです。

またイスラエルでターミナルのトイレに入っていたら、後ろから軍人が3人入ってきて自動小銃をぶら下げていました。たしかマガジンは外してあったと思うのですが、そこまで見る余裕など無く、肩からぶら下げたそれに目が行き、一瞬「やばい、終わった」と思ってしまいました。やっぱり怖かったですね。

 

色んな国の映画を見てて思うのですが、銃に対する描写が各国によって違いますよね。あくまでも怖いものとして表現するか、何か守る為にかっこよく表現するか。

これは非常に大きなことだと思います。

ドキュメンタリー映画が好きでよく見るのですが、期間限定でネットにて面白そうな映画をやってます。

何本かみたいなと思う映画もあり、好きな人は見たくなると思います。

お時間があるときに是非ごらんになってはどうでしょうか?

 

「松島×町山 未公開映画祭」

http://www.mikoukai.net/

 

(蓮見 洋平)

 

 

 

 

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2011年

1月

17日

幸せの基準とその価値(2)

人間の根源とは何か。

現代社会において、この根源が揺らいでいるような気がしています。

 

食べる、寝る、次の世代に引き継ぐ。

これが地球上に住む生物としてずっと続いている事だと思います。

皆さんはこの中で軽視しているものはありますか?

 

こういった人間の基礎的な部分が粗末に扱われていると感じざるをえません。

日本の食に対する基盤にあるのは価格になっています。

質ではなく「安ければいい」という質より価格の優先順位が高いのです。

ある方が「消費者が神様という言葉は消費者の欲望を最大化したいという売り手の下心を隠す表現」といっていました。

消費者の欲望の優先順位が価格ではなく質であったらどうでしょうか?

商品の生産、流通、販売までが質を気にしたら。

そうなれば「食」の生産基盤は長期的に細くなるといった事態は避けられるのではないでしょうか。

 

また農業など体を使う職業が軽視されがちな現代社会の風潮も、人間の根源より経済が上回っている事の現われではないでしょうか。

農業、漁業など自分の生活に必要な基盤を整えることで、自分たちは経済を作ることが出来るわけで、経済がそれらを支配しているわけではないと考えたいです。実際にはお金のやり取りがあるのですが・・・。

 

軽視される理由のひとつとして、生産者と消費者の実体ある信頼関係が結べていないこともあると思います。これは昨日書かせてもらった「顔の見える関係」に通じるものがあって、間にいくつかの会社が入るのではなく、出来るだけそれらをシンプルにしていくこと、もしくはそういった必要性をしっかり考えているところから物を買う。それがいろんな事を変えていけると思っています。

 

パソコンでも携帯電話でも、便利さ・効率の良さは無条件に歓迎されます。それは遅いよりは早いほうがストレスにもならず楽ですし、私もパソコンが遅いと時々イライラしてしまいます。

ですが、便利さを得ることによって失われるものへの想像力の欠如が資本の優先を許し、生産者も質より価格の見直しを優先してしまうと思います。

 

料理は、ひと手間かければ格段においしくなるのは料理をする人なら誰でも知っていることです。「労を惜しまず」ですね。食に関わるものはスピードを求めすぎないと考えたいです。

ろくに眠らずに忙しく働いたことを誇る自分よりも、「あ~良く寝た。さて今日も頑張るぞ。」といえる人達の作る社会のほうが魅力的に感じてしまうのは自分だけでしょうか?

 

     

                                             (蓮見 洋平)

 

 

 


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2011年

1月

17日

忘れてはいけない出来事と準備

平成7年の今日、阪神淡路大震災がありました。

私自身はそこの住んでいなかったので、直接的な怖さは分からないのですが、以前震災の支援に関わったことで怖さの片鱗を知ることができました。

 

1999年に起こったトルコの震災と台湾の震災の支援にかかわりを持ちました。

実際台湾には訪れて、現地の支援団体にお世話になりました。

一緒に行った方の中に阪神淡路大震災の経験者の方がおられました。

現地の団体は震源地の都市部ではなく、少し離れた村に拠点を構え周囲の支援に当たっていました。

理由は都市部には支援が行きやすいが離れた村には支援が行くことは無いとの事でした。

そこでは冷凍用コンテナを事務局兼寝床として寝袋で生活していました。

冷凍用コンテナだと台湾の冬は乗り切れるとの事でしたが、結構寒かったです。

冷凍用のコンテナを改造して図書館にしたり、コの字型に並べ真ん中に広場を作ったりと色々工夫していました。

都市部では公園にはテントが並んでいましたが、露天などがあり、震災から1ヶ月後くらいで比較的整備はされておりました。

人はすでに震災を糧に生活していると思うくらい町はにぎわっていましたが、それは楽観視した私の甘い考えだったと痛感させられました。

裏通りの個人宅については崩れたままでした。若い男性が私だけだったので全壊、半壊のお宅から衣類を取り出し家族に手渡しをしていました。

受け取った家族はその洋服を握り締め、大声で泣きながらその場に崩れていました。

台湾では震災の復興にいち早く宗教団体が整備をはじめ、仮設住宅を設置しました。その仮設住宅を見たのですが、かなり立派で数も非常に多く設置されていました。

 

自分にとっては人は支えあって生きているということを考えさせられる出来事になりましたが、地域とのつながりが日ごろから重要になってくるとも思いました。

震災の裏では人為的な2次災害とも呼べる出来事が増える危険性もあると思います。防災グッズの準備だけでなく、日ごろからの近所づきあいも大切ですよね。

        

                            (蓮見 洋平)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年

1月

16日

科学での検証と昔から言われていること

先日アメリカの研究チームで人種差別を科学的に減少させられる可能性を示した研究が発表されたとのことです。

 

白人の被験者に似ている顔つきの黒人男性の顔を見分ける訓練を行ったところ、無意識の偏見を測定するテストで、人種的慣用度が向上した。これには相手を個人として扱うようにすることが出来れば、ステレオタイプ効果を減少できる。それが人種差別の減少につながることが出来るのではないかと言ったことでした。

 

これは昔からよく障害者福祉や海外支援などの分野でも言われるようなことで、「顔の見える関係作り」がそれにあたるのではないかなと思います。

そこからまず自分の中にある壁を取り除いて考えていくこと。

わざわざ科学で行う必要があるのかどうかは別にして、人種でなくて個人、障害でなくて人間を見よう。これは絶対に必要な考え。

文章、映像だけで○○人はどうとかって言ってても何もなりませんからね。

僕の友達には障害を持った人が何人もいます。他の友達と同じように、友達に紹介して遊びます。そうすると別に福祉とか関係なく友人も自ら自分の中の壁を壊して付き合うようになっていきます。

そういうところから変わると信じてますから、特にマイノリティな人たちとの交流がしやすい世の中にしていかないといけないですね              

                             (蓮見 洋平)

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2011年

1月

15日

頑張れ受験生と昔のレベル

ぼちぼちセンター試験なんですね。

今が一番苦しいときの受験生。頑張ってください。

 

ラジオで知りましたが、数学の試験レベルは昔に比べて高くなっているみたいです。

だからお父さん、お母さんに「自分たちが学生の頃はこれくらい出来たぞ」などと言われてしまっては少し可愛そうですね。

 

受験生を見習って、年をとっても勤勉でありたいですね

                            (蓮見 洋平)

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2011年

1月

13日

気力と可能性

「人間には多くの可能性がある」とかよく聞きそうな言葉ですが、本当に人間には色んな可能性が秘められているのだなと考えさせられました。

 

 

今、ある原稿を預かっており、それをPC入力しているのですが、そこに書かれている人間の奇跡とも呼べる出来事。

ここで内容を書くことは出来ないのでご紹介できなくて残念ですが、人間とは自分の気力でここまでのことが出来るのか。と思ってしまいました。

 

 

人間は医療の持つ常識、自分たちが考えている常識なんてものを飛び越えることが出来る可能性を秘めているんですね。

 

またその可能性をものにするのは自分の人生への向き合い方のような気がしました。                  

ここで紹介できないのが本当に残念。いつか紹介したいとおもいます。

 

                            (蓮見 洋平)

 

 

 

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2011年

1月

12日

家いじりと写真

自分の家を少しずついじっていく。

 

面倒くさいように思えて、実はすごく楽しいこと。

 

そう思うと家に帰るのが楽しくなる。

 

 

今、自宅の壁を塗り始めました。

職人さんに教わりながら、下地処理をして、薄く塗り重ねて・・・と

とても難しい。

仕上げ方にもよるのですが、こて跡を残さないようにするのは素人では絶対無理な高い技術が要求されます。

自分で塗ったところと、職人さんが塗ったところの差がはっきりと出るのでビックリします。

長年積み重ねた技術とはすごいものですね。

 

家の壁を塗り終えるのに一年くらいかかりそうだ    

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2011年

1月

11日

業種とちょっとした妬み

厚生労働省が行った給与調査で都道府県別に平均月額が算出されたそうです。

東京都36万4800円~沖縄県22万3900円

 

この数字を見ると、業種による格差は都道府県別の格差の比ではないなと単純に思ってしまいました。

私が以前まで働いていた社会福祉の分野は現代社会にとって必須のもので、それこそ歴史の授業で覚えている人もいると思いますが「大宝律令」から始まり、現在の社会福祉にいたるまで、いろんな障害・差別などを経て、今でも現場で声を上げながら働いている業種だとおもっています。

給料が安いとはもちろん思っていましたが、こうして数字を見るとなんだか悲しくなってしまう程です。

「じゃあ給料を上げるために民間の参入だ」と簡単に割り切れないところもあるんですね。

それは利益と社会保障の共存が難しいというのも一つの理由じゃないでしょうか。

 

他の業種でも天候に左右されやすい農業や漁業、伝統的なやり方で衣食住に関わっているいい仕事をする人達もまた単純に利益とは共存できない状況があるかもしれません。

 

だからと言って他を不必要な業種と言っているのではありませんが、個人的にはシンプルに丁寧に生活していくことが、世の中を正常なスピードに戻すと思っているので、できればあんまり格差が出来ないことを祈りたいですね。

福祉の業種でよくある話が、自分の収入では一人暮らしで着ないし、結婚出来ないとよく話しに出ますからね。 

ま、それを言ったら芸術で生きている人は一番厳しいのかもしれないですね

                             

念のためこちらに金額が出ています

http://www.asahi.com/business/update/0111/TKY201101110370.html?ref=goo

 

                             (蓮見 洋平)

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